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いしばし こうさい

石橋咬菜

いしばし こうさい

1871.11.25(明治4)〜 1953.11.21(昭和28)

明治・大正・昭和期の教育家、郷土歴史研究家

埋葬場所: 25区 1種 12側

 福井県出身。本名は石橋重吉(じゅうきち)。1896(M29)文部省教員検定試験にうかり、福井県内外の中学校教諭をつとめる。 '22(T11)武生高女校長、ついで福井高女校長。その後、福井図書館長、武生町初代公民館長を歴任。この間、郷土の歴史研究に尽力。 自らの著書を出版する際、自著の出版社として咬菜文庫(発行者)、著作者を石橋重吉として刊行した。 主な著書に『本稿福井市史』『足羽郡誌』など多数。享年81歳。

<講談社日本人名大辞典など>


句碑

*自然石でできている墓石正面に「石橋家之墓」。左側に句碑が建ち、「帰りなん いざ むさし野を 四季たのし」と刻む。 右側に法名塔があり墓誌となっている。戒名は咬菜院法重日勤居士。妻は蝶子。墓石の裏面には石橋咬菜の略歴などが刻む。


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