長野県出身。本姓は柴田、稲垣重為の養子になる。 松本師範、東京師範を卒業して故郷で教員を務めたが、1887(M20)再び上京して農科大学を卒業、97東京高師教授となり、1900(M33)農学博士となりドイツに留学。 帰国後、盛岡高農教授。06農科大教授となった。晩年食糧研究会を起し、人口食糧調査会委員となる。 主な著書に「農学楷梯」、「農業入門」、「植物栄養論」、「農地改良学」、「農芸物理気象学」などある。従3位 勲2等。享年65歳。
<世界人名事典(東洋篇)東京堂出版>
*正面「稲垣家之墓」、裏面「昭和四年三月二十七日建設 稲垣穣」。左側に墓誌がある。稲垣乙丙像(1969作)が以前は入口にある石ベンチ上にあったが、現在(2017年)は墓誌の上に移動。墓誌には「従三位 勲二等 農学博士」と刻む。妻は隆子。 *長男の稲垣穣(同墓)の雅号は幽致庵末久、陶芸作品などを残している。また川村早苗編集、幽致庵末久の作『たなごころの幸福(しあわせ)』が刊行(2011)された。