東京出身。稲葉三郎(同墓)の長男。1964(S39)国際基督教大学卒業。学生時代にはアマゾン川を筏で下った経験がある。
'77.6.15 東京都台東区にオーガニック輸入食品を扱う商社(株)種山ヶ原を設立し社長に就任。種山ヶ原に近い蕨(わらび)峠にて緬羊の牧場も持った。「羊は、どの家畜よりも多種の草を食べることから植林の下刈り役に適し、フンは分解が遅いため土壌に優しい。その上、肉はアルカリ性。毛は衣服や布団にもなり、衣食住をまかない、理想の未来を拓く」と語っている。
ニューヨークに住むペース奏者のチャールス・ミンガスと親交があり、'64、'67 アメリカにて会い、'71 来日の際は羽田空港に迎えに行っている。この縁で、'73.9.30 チャールズ・ミンガス、ネル・キング編『ミンガス 自伝・負け犬の下で』を黒田昌子と翻訳をし出版(晶文社)した。
'86 「農・林・畜の結合による自然と人間の新しい共生のあり方を開拓すること」を目標に掲げて未来開拓者共働会議の創立メンバーとして立ち上げた。'89(H1)岩手大学農学部で「第1回羊シンポジウム」を開催。'94 伊勢市で「千年の森国際シンポジウム」を共催するなど、羊・環境・有機農業などをテーマに中心メンバーとして活動した。
また岩手県気仙郡住田町の牧羊場(種山ヶ原の放牧場)の経営を未来開拓者共働会議が行うようになり、岩手鉱業株式会社を創業し社長に就任した。しかし、'95 アメリカ出張中にホテルにて急逝。享年56歳。
没後、共働会議代表を務めた楠本雅弘が、生前稲葉からの寄贈図書約600冊を、渡部村長に諮り角川の農村環境改善センター内に記念文庫として開設。「未来開拓者共働会議稲葉記念文庫」は村民の利用に供した。以後、楠本雅弘が蔵書の寄贈を続けて充実につとめている。