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いいづか みつお

飯塚三男

いいづか みつお

1926(大正15)〜 2014.5.24(平成26)

昭和・平成期の林業家、
桐栽培の第一人者

埋葬場所: 6区 1種 1側

 千葉県大和村(東金市)出身。飯塚實(同墓)の三男。
 1947(S22)高等農事講習所(鯉淵学園農業栄養専門学校)卒業。卒業後、林業試験場(現森林総合研究所)に就職。赤沼試験地(埼玉県)、木曽分場(長野県)、本場(東京目黒、筑波学園都市)、浅川実験林(東京八王子)と転勤。在職中に、インドネシア(スラヴェシ島)、フィリピン(ミンダナオ島)、タイ(チェンマイ)の桐試験造林地の調査指導に赴く。また木曽分場時代以外では桐の調査研究に従事した。'87 退職。
 退職後、中国林業科学院の招聘で桐の原生地域とみられる四川省の調査をする。その後、民間業者の要請で、河南省、安徽省などの調査に同行する。
 半世紀以上にわたって桐の栽培に携わってきた第一人者であり、著書に『桐の文化と桐樹栽培事典』がある。晩年は桐花鉢技術の確立をめざした。

<著者略歴など>


*墓石は洋型「飯塚家」、裏面「平成十七年七月吉日 飯塚三男 建之」。左側に墓誌が建つ。父は飯塚實(S44.3.12歿・行年84才)、母は しげ(H15.6.28歿・行年101才)。同墓には實の前妻は慶。長男で早死した駿一。二男で早死した和男。三男の戒名は東晃院静山三益居士。三男の妻は禮子(H16.1.15歿・行年75才)。


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