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いがらし けんじ

五十嵐健治

いがらし けんじ

1877.3.14(明治9)〜 1972.4.10(昭和47)

明治・大正・昭和期の日本初のクリーニング事業(白洋舍)、基督教伝道者

埋葬場所: 16区 1種 2側 3番

 新潟県出身。県議会議員の船崎資郎の二男として生まれる。両親が離婚したため、五十嵐幸七の養子となり、1914(T3)相続した。
 高等小学校卒業後、丁稚や小僧を転々とし、日清戦争に際し17歳で軍夫として志願して輸送隊員になり中国へ従軍。その後、三国干渉に憤慨しロシアへの復讐を誓い北海道からシベリアへの渡航を企てるも、だまされて、原始林で重労働を強いられるタコ部屋へ入れられた。脱走して小樽まで逃げ、うまく行かない人生を悲観視して自死を考えていた時に、旅商人からキリスト教のことを聞き、自殺を思い留まり、市中の井戸で受洗してクリスチャンとなった。この時、19歳。
 洗濯の仕事など職を転々としながら上京し、1898(M31)廣瀬太次郎の紹介で百貨店の三越に入り宮内省掛りとなる。日曜日が忙しい百貨店であると日曜礼拝に出席できないことや、約10年間働いたこともあり、29歳の誕生日に独立。
 1906.3.14(M39)日本橋呉服町に洗濯店「白洋舍」を創業し、日本最初の乾燥洗濯業を創始。ドライクリーニングの研究に没頭し、翌年独力で日本で初めて水を使わぬ洗濯法の開発に成功。また三越の創業者の日比翁助の許可を得て、役員や三井グループなどの取引先を紹介してもらう。'10 三越から松坂屋に役員が移った関係で最初の支店を名古屋に出す。松坂屋の本店(現在の松坂屋名古屋店)に白洋舍の取次店が今でも存在しているのはそれが理由である。
 '20(T9)白洋舍を株式会社に改組し「白洋舍クリーニング株式会社」と名称変更、初代社長に就任。経営方針の第一に「どこまでも信仰を土台として経営すること」をあげている。'27(S2)株式会社白洋舍に社名を変更。'28 産業安全の重要性を痛感し、全日本ドライクリーニング安全協会を設立し、東京工場協会本部安全委員長に就任した。
 '32 全国安全大会において、災害防止の研究発表や、全国主要工場鉱山を尋ね、安全運動推進に努めた。また本社の近くや多摩川工場内に会堂を建て、様々な機会をとらえて社員に福音を伝えた。'34 白洋舍化学研究所(洗濯科学研究所)を設置。
 '36 渡米し、産業安全を視察。翌年、欧州にも視察しに行く。'37.12 家庭安全協会を設立。'45.11 産業安全功労者として、労働大臣より表彰され、藍綬褒賞を授与された。
 白洋舍の「舍」の字を新字体の「舎」ではなく、旧字体「舍」を使用し続けている理由は、創業当初は組織ではなかったため小屋を意味する「舍」の字を当てたためであったが、組織になっても突き出さず謙虚に世の中の方々に奉仕する心を常に持つという意味を込めて、旧字体の「舍」を使い続けている。
 太平洋戦争が起ると社長を退き、戦後は聖書を学ぶことと福音の伝道に心を砕き、キリスト教の福音伝道に励む。80歳の頃クリーニング業者福音協力会を設立。
 心も洗濯をということで『家庭と洗濯』、『最新家庭洗濯法』など啓蒙書を著すとともに、同信社の『恩寵と真理』、『福音時報』に投稿を続け、H.G.ブランドの日曜礼拝の話を『ブランド講演集』として編集。 また『詩篇の味わい』(正続)、自叙伝『キリスト信仰とわが体験』がある。また結核で病床にあった作家の三浦綾子(旧姓は堀田)を尋ねたことがきっかけで、クリスチャンになった三浦綾子は後に『夕あり朝あり』(1987)という五十嵐健治の伝記小説を著している。
 '65.11 勲三等瑞宝章。東京慈恵医科大学病院にて召天。享年95歳。没後、藤尾正人編の伝記『恩寵の木洩れ日』(83)が出されている。


*自然石「五十嵐家之墓」、前面右上に「主来り給うまでは」と刻む。裏面は墓誌となっており、妻の ぬひ(S34.5.1歿・76才)から刻みが始まり、次に五十嵐健治。墓誌には長男で白洋舍2代目社長の五十嵐丈夫、孫で白洋舍3代目社長の五十嵐敬一、曾孫で白洋舍4代目社長の五十嵐素一も刻む。

*墓所右側に「信仰によりて 今なお語る ヘブル人への手紙11章4節」が建る。裏面は「初代 五十嵐健治の略歴」と題し、ぎっしり略歴が刻む。

*五十嵐健治の妻の ぬひ は静岡県出身で宇野幸造の三女。長男の五十嵐丈夫の妻はミヤ(S56.7.26歿・76才)は宮城県出身の桜井昌治の長女。四男の五十嵐充(H8.9.7歿・76才)、六女の禮子(H27.1.23歿・99才)も眠る。丈夫の長男は五十嵐敬一、妻は ひさ子(H24.5.25歿・83才)。敬一の長男は五十嵐素一(1958-2022.5.17)、妻は園子。


五十嵐丈夫 (1903.9-1994.12.12)
白洋舎第2代社長
 五十嵐健治、ぬひ の長男。1934 白洋舎取締役、'41 専務、'43 白洋舎第2代社長に就任。'75 会長。'83 相談役を経て、名誉顧問。


五十嵐敬一 (1928-2015.1.12)
白洋舎第3代社長
 五十嵐丈夫、ミヤの長男。1952 白洋舎入社。'61 取締役、'65 常務、'71 専務、'73 副社長、'75 白洋舎第3代社長に就任。'91(H3)会長。'99 相談役、2012顧問。



第290回 日本初のクリーニング事業 白洋舍 創業者 五十嵐健治 お墓ツアー


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