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いで のりお

井手則雄

いで のりお

1916.8.25(大正5)〜 1986.1.3(昭和61)

昭和期の彫刻家、美術評論家、詩人

埋葬場所: 12区 1種 6側

 朝鮮京城府に生まれる。(注:誕生直後に帰国して長崎で育ったため、自身は「長崎県出身」と書いている。) 1934(S9)東京開成中学校卒業し、東京美術学校(現、東京芸術大学)彫刻科入学(S14卒)。 在学中から二科展などに出品、'43銀座で個展を開く。'47前衛美術会を結成。日本アンデパンダン展(日本美術会)第一回展参加。 '50年第一詩集「葦を焚く夜」出版。'59年鉄彫刻を始める。'72の12月宮城教育大教授に就任。 '81退官後は、福島県の会津短大の非常勤講師などを務めた。その間、'78ギリシャ、イタリア、フランス旅行。 '80年「井手則雄回顧展」。晩年は、'85個展「鉄と幻想」。ビデオシリーズ「美術のみかた」制作開始(三巻まで完成)。 他に「純粋詩」「造型文学」「新日本詩人」「列島」などに詩や評論を発表。美術関係の著書に「マイヨオル」「美術入門」などがある。
 '86年1月3日福島県富岡町小浜海岸を散歩中に転落し不慮の事故死を遂げた。享年69歳。同地には8月詩碑が建てられた。妻は美術教育家の矢野和江(1930.2.22〜ご健在)。

<詩歌人名68頁>
<絶筆「オリンポスの神話」(筑摩書房、1989年)の著者紹介>
<五輪塔様より情報提供>
<井手則雄氏の息子様にあたる矢野創様より情報提供>


【1999年第5回全優石ニューデザイン賞受賞】
井手則雄・多磨霊園墓碑:ふたり墓(永遠の同伴者)
詩人・彫刻家・美術教育家の父の墓;作成者:矢野創
 宇宙科学技術関係の仕事をしています。両親のために建てたお墓で応募します。
 お墓は個人の永遠の地であると共に、残された家族・知人が故人を偲び、再会する空間でもある。だから故人の生前の生き様や人柄を象徴するモニュメントにしたい。 これが、1986年に福島県の太平洋を臨む海岸で不慮の事故死を迎えた父の墓を、没後11年目にして建立する際に、私が目指したことである。
 墓石は、故人が愛した福島県の山渓から掘り出した丸石を、ありのままに自由に生きた美術家その人に見立てた。碑名は故人の直筆でうがつ。 荒く磨いた、やわらかい曲線を持つ礎、角が取られ半円柱状に磨かれた縁石は、故人の優しい人柄が墓石を中心に周囲へ拡がっていくようだ。 この墓は人生の終着駅として閉じず、むしろ死してなお、訪れる人に豊かなイメージを発する源である。
 この墓は天然丸石をただまっ二つに一断しただけだ。それは二人の男女が向き合っているようにも見える。両者の間で対話が生まれているようでもある。 お互いのありのままの個性を認め合い、生涯を共に暮らしたふたりの間には、中心に小さな正円がくりぬいてある。 そこは、他の誰もが犯すことのできないふたりだけの空間であり、永遠に向き合う時間が流れている。
 この墓をまだ本当の意味で完成したとは思っていない。いずれ左側の片われに現在69歳の母の名が彫られ、生前の同伴者が再びこの墓の下で共に眠る時、彼らふたりの墓は落成することになるはずだ。1997年建立。

<「1999年、第5回全優石ニューデザイン墓石」より引用>


*井手則雄氏の息子様にあたられる矢野創様より2005年1月メールをいただき追加訂正を行わせていただきました。 矢野創様は独立行政法人宇宙航空研究開発機構、宇宙科学研究本部の助手をされている著名な方です。
小天体に関してご興味がおありの方はぜひ矢野様が寄稿されているHPも拝見してみてください。


関連リンク:

中間法人 全国優良石材店の会(全優石):1999年、第5回全優石ニューデザイン墓石



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