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えさか とくぞう

江坂徳蔵

えさか とくぞう

1885.10.4(明治18)〜 1964.8.14(昭和39)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(機関少将)、高田市長

埋葬場所: 18区 2種 12側

 新潟県高田町中殿町通(高田市・上越市西城町)出身。高田中学校教諭などを務めていた教育者の江坂熊蔵・光子(共に同墓)の長男として生まれる。
 旧制高田中学校を経て、1908.4.25 海軍機関学校卒業(16期)。海軍機関少尉候補生として宗谷に乗組。同.8.15 春日乗組、'09.1.11 機関少尉となり、同.12.1 第9駆逐隊付。'10.2.16 比叡乗組、同.10.26 丹後乗組、同.12.1 中尉となり第6駆逐隊付。'11.12.1 安芸乗組を経て、'12.12.1(T1)大尉に進み、工機校特修科学生になった。'13.5.24 嵯峨機関長・分隊長に着任するが、同.8.31 待命。同.12.1 大湊要港部付として復帰。
 '14.9.10 造船監督官に補され、'15.2.5 艦本艤装員を兼務。同.3.1 杉乗組を経て、'16.3.27 海軍大学選科学生になる。'18.3.14 日進分隊長、同.12.1 少佐に進級し、'19.11.1 機関校教官、'20.1.21 海軍省出仕、'21.7.9 燃料廠研究部部員、'22.8.15 呉鎮守府付、同.12.1 軍令部出仕(三班五課)を歴任した。'23.12.1 中佐になり、'24.11.20 戦艦「山城」機関長を務める。'25.11.10 横須賀艦船部部員、'26.12.1 第二課長兼務後、'27.12.1(S2)大佐に昇進し、第3戦隊機関長に着任した。
 '28.12.10 海軍大学教官、'30.10.1 練習艦隊機関長、'31.10.1 横須賀鎮守府付、同.12.1 第2艦隊機関長に就任し、'33.5.20 連合艦隊機関長を兼務した。同.11.15 少将に進み、燃料廟平壌鉱業部長を任ぜられた。'35.11.15 軍令部出仕、'36.3.28 待命、同.3.30予備役となった。
 予備役にて軍人を退いた同年7月に、郷里の新潟県高田市長(第4代)に就任した。市町在任中は市内のガスを、石炭ガスから天然ガスに切り替えインフラを発展させた。一方で、議会に対して速記録印刷廃止を提案し、議員の反発を受けた。'38.8 一身上の都合により市長を辞職。その後は実業界に転じたが、戦後、公職追放を受けた。享年78歳。

<帝国海軍提督総覧>
<日本海軍将官総覧>
<高田市史など>


*墓石は和型「江坂熊蔵 同人妻光子 之墓」。裏面「嗣徳蔵建之」。左面「大正四年 / 本修院厚徳日達居士 / 三月九日」と刻む。墓所内に墓誌等はない。

*江坂徳蔵の没刻等もないが墓所建之者としての刻みより同墓に眠るものとされる。


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