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えんどう まこと

遠藤 誠

えんどう まこと

1878.6(明治11)〜 1940.4.6(昭和15)

明治・大正期の判事

埋葬場所: 18区 1種 19側

 山梨県出身。祖父は幕臣の遠藤正左衛門源和貴(同墓)。父は弁護士・甲府市助役を務めた遠藤譲、多計(たけ:共に同墓)の長男。1907(M40)家督を相続す。
 1904(M37)京都帝国大学法科大学独法科卒業。'05 判事となり、宇都宮地方裁判所判事に補せられた。その後、東京区裁判所 兼 東京地方裁判所土浦区裁判所などを経て、'14(T3)水戸地方裁判所部長に就任。
 次いで、東京控訴院判事、新潟地方裁判所部長、長野地方裁判所部長を歴任し、再び東京控訴院部長となるなど大審院部長を務めた。従3位 勲2等。享年61歳。

<人事興信録>


墓所

*墓石は和型「遠藤家之墓」、裏面「昭和十六年四月六日 遠藤襄 建之」。右面に遠藤誠の略歴が刻む。右側に小さ目な和型「遠藤譲 / 室 多計 之墓」が建ち、その他の面は遠藤譲の略歴が刻む。左側に墓誌が建つ。祖父の遠藤正左衛門源和貴(M6.1.21没)から刻み「幕臣」と刻む。祖母は津満(M28.12.23没)。父の遠藤譲(T6.6-M40.7.13没・56才)には「弁護士 勲四等 甲府市助役」と刻む。遠藤誠にのみ戒名「昭徳院殿誠道明裁大居士」と「判事 従三位 勲二等 大審院部長」、行年は63才と刻む。妻は花(S23.7.23没・58才)。次に誠の次男の遠藤謙(S24.5.29没・32才)には「朝日新聞記者」と刻む。次は襄の長男の茜(S53.6.24没・31才)。誠の長男の遠藤襄(T2.7-H4.7.5没・78才)には「東京都立大森高等学校教諭」と刻む。襄の妻は郁子(H16.6.23没・72才)。

*父の遠藤譲は弁護士を経て、第4代 甲府市助役(M33.5.26-M39.5.29)、第5代 甲府市助役(M39.7.14-M40.7.13)を務めた。


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