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えびづか しろうえもん

海老塚四郎兵衛(的伝)〔2代目〕

えびづか しろうえもん

1882.11.4(明治15)〜 1964.3.14(昭和39)

大正・昭和期の実業家、
中林梧竹書道傑作蒐集家

埋葬場所: 2区 1種 5側

 神奈川県出身。初代の四郎兵衛こと海老塚量正と遊鹿(共に同墓)の三男。初名は海老塚三郎。別名は的伝居士。家督相続に伴い四郎兵衛を名乗った。横浜商業学校から慶応義塾予科に学び1904(M37)修了。
 1906一年志願兵として出征、'08予備見習い士官。騎兵隊入営に際しては『兵営の回顧』という冊子を執筆して要路の大官に配布した。 除隊後は海老塚合名の代表社員として実業に従事し、西戸部・葉山・横須賀に防水布工場を設けてインド・オーストラリア・台湾などに輸出し帝国海軍御用達をつとめた。 1922.11〜23.5(T11〜T12)南米・ヨーロッパ・インド・アフリカ諸国歴訪。帰国早々1923.9.1関東大震災が起き、横浜・伊勢町に豪壮な居宅を構えた海老塚家はこの震災を機に父祖伝来の土地を離れた。
 1928.3(S3)東京府北多摩郡千歳村に「梧竹堂」を建設して、日本書道の今日の基礎を築いた中林梧竹晩年の書道を蒐集(=収集)。同年秋より「中林梧竹先生遺墨展覧会」を毎年春秋2回開催した。 '36以降、来観者のために梧竹の書の鑑賞と理解のための小冊子を刊行。戦後も梧竹顕彰活動を続け、'59.3(S31)収集した中林梧竹晩年の書道傑作約400点を関係の深い徳島県に寄贈した。 作品および関係資料は、1959.9県の有形文化財(書跡)に指定されている。享年82歳。

<『梧竹と徳島50年―花の書展』作品図録
徳島県立文学書道館発行 平成15年2月>


*墓石は大きな和型で正面に海老塚四郎兵衛の名が刻む。建立者は二代目の的伝。

*四郎兵衛のヨミを「しろべえ」とするものもある。また、「四郎右衛門」と記載す る人名事典もある。

<望月雄二様より情報提供>


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