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あおやぎ ゆたか

青柳 優

あおやぎ ゆたか

1904.2.1(明治37)〜 1944.7.30(昭和19)

昭和期の詩人、文芸評論家

埋葬場所: 24区 1種 7側

 長野県南安曇郡烏川村(安曇野市堀金烏川上堀)出身。医師の三男として生まれる。
 旧制松本中学校を経て、1930(S5)早稲田大学文科英文科卒業。在学中からアナーキズム文学雑誌「世紀文学」を創刊した。その後、文芸雑誌「黒色戦線」(1930-32)や「アナーキズム文学」(1932)を創刊した。丹沢明の筆名でダダイズム詩人として過激な詩や評論を載せた。「散文精神の内的解体である」を主宰した。
 '31 京都帝国大学の青柳栄司の世話で、四条畷女子学校の英語教師となるが、2ヶ月ほどで退職し、千住税務署に勤務しながら文芸評論家として活動を続ける。
 '33 解放文化社の詩人たちと解放文化連盟を結成し、「文学通信」「文陣」で詩の評論を行う。'34 「稲門文学」を主宰し、第2次「早稲田文学」に文芸評論を書く。'35 尾崎一雄の推薦で、第3次「早稲田文学」に『同人雑誌作品評』を発表し、'37 からは編集同人として活躍。昭和10年代には寺岡峰夫らと新進評論家として活躍した。
 '39(S14)『現実批評論』を刊行、以後、'41『文学の真実』、'43『批評の精神』などを刊行。また大正文学研究会でも活躍し、小学館版『近代日本文学研究』全6冊を編纂した。
 第二次世界大戦中、時代に迎合する文章が、文学者の手によって大量に書かれていた時、反体制的な気構えをくずさず、新しい時代に応える正しい文芸理論を打ち立てることに全力を尽した。病のため逝去。享年40歳。

<講談社日本人名大辞典>
<20世紀日本人名事典>
<安曇野市ゆかりの先人たち>


墓所

*墓石正面「悠」、裏面「平成二十三年秋彼岸 青柳漠 加藤映 青柳晃 石川香介 の兄弟 建之」。右側に墓誌が建つ。青柳優から刻みが始まり、戒名は青柳院章譽好文優學居士。墓誌には41歳と刻む。以降、石川賢治(S48.8.23歿・49歳)、石川トメコ(H6.4.29歿・82歳)、加藤映(R4.9.2歿・81歳)、加藤由記子(R5.9.11歿・74歳)が刻む。

あおやぎ ゆたか

*2011(H23)秋以前は、上記のように「青柳家」の墓石が建っていた。墓石の裏面には青柳優のみ、戒名、歿年月日、行年が刻まれていた。


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