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あおき しげきち

青木繁吉

あおき しげきち

1886.12.21(明治19)〜 1971.4.21(昭和46)

明治・大正・昭和期の実業家(石油販売業)

埋葬場所: 20区 1種 58側

 高知県高岡郡高岡村(土佐市)出身。雑貨商を営む寅次、丑の二男として生まれた。雑貨商を営む家業に一時従事し、姉の嫁ぎ先へ丁稚奉公に出る。
 小柄な体のため軍隊にも入れず、生涯を商売しかないと決心し、奉公中に貯めた32円を元手に1908(M41)高知県高岡町で石油店を開業。 天秤棒を担いでランプ用の灯油を売り歩き、一年足らずで町の有力商店に成長した。 翌年ライジングサン社(昭和シェル石油)と取引を始め代理店に昇格。電灯の普及と動力用発電機の急増により需要の動向に変化が予想されていたので、1915(T4)愛媛県へ移り再び行商を始めた。 石油製品の小売のほか精製方法を独力で研究し、各種の自家製品を作り販路を拡大。 20原料輸送のため木造タンカーを建造。23蒸留窒を設け石油元売りへの道に進んだ。25青木運輸を設立し海運業へ進出。 翌年町会議員、1934(S9)から9年間町議と市議を務めた。41統合要請を受け入れ太陽石油として発足、代表者となる。戦中戦後の混乱期を乗り越え58ソ連原油輸入に成功。60東京に本社移転。 開業以来現役引退まで50年余、独立自尊を信条とし、将来を洞察する鋭い先見性により、社運の降盛に努め、磐石の基盤を築いた。

<高知県人名事典>


墓所

*子の青木良作(1903-1965.9.21 同墓)は、繁吉の後を引き継ぎ1964(S39)太陽石油の二代目社長となった。 '65良作の死去に伴い、孫の青木繁良(同墓)が三代目社長に就任し尽力した。


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