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あかつか しょうすけ

赤塚正助

あかつか しょうすけ

1872(明治5)〜 1942.5.6(昭和17)

明治・大正・昭和期の外交官、政治家

埋葬場所: 11区 1種 9側

 鹿児島県に藩士の子として生れる。造士館を経て東京帝国大学法科大学卒。1898(M31)外務省に入省。厦門(アモイ)領事官補を振り出しに外交官生活に入る。 釜山総領事をへて日露戦争中はアメリカ公使館在勤、戦後在ベルリンのドイツ公使館をへてフィリピン領事、日本漁船からアメリカ弁護士が不当な税金を徴収しているのを解決し感謝された。
 一度本省に帰り、通商局第一課長、1912(T1)広東総領事、袁世凱帝政阻止のため動いた。'16(T5)9月奉天総領事となり、張作霖に接近し、その東三省統一に力を貸した。 奉天在勤は6年に及び、経済的には長嶺子鉄鉱の開発、安東採木公司の事業拡張などを行い、政治的には'19(T8)吉林師長高士?(人偏+賓)の部下と日本の長春守備隊との衝突事件、'20の間島事件などを処理した。 '24(T13)4月オーストリア公使、'26(T15)11月帰朝退官し、郷里の鹿児島県第2区から '28(S3)第16回総選挙に出馬し当選、立憲政友会に属した。

<新版日本外交史辞典>
<歴代閣僚と国会議員名鑑>
<MATSU様より情報提供>
<森光俊様より写真提供>


*墓所内墓石は『赤塚正助之墓』が一基建つ。


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