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あかつか じとく

赤塚自得

あかつか じとく

1871(明治4.3)〜 1936.2.1(昭和11)

明治・大正・昭和期の漆芸家、蒔絵師、
現代漆芸界の巨匠

埋葬場所: 11区 1種 25側 28番

 東京市芝区浜松町出身。父は蒔絵師の6代目赤塚平左衛門。赤塚家は代々漆芸・蒔絵を家業とする家で、父没後には7代目平左衛門を継いだ。
 父に蒔絵を学んだほか、1885(M18)狩野久信について日本画を学んだ。1887 勧学義塾の中等科に入る。1910 寺崎広業について日本画を深め、'12 白馬会洋画研究所で油絵を修めた。
 並行して、東京勧業博覧会審査官、東京府美術工芸展の審査員、日本美術協会の審査員を務め、'23(T12)日本工芸協会の理事、翌年からは工芸済々会の創立委員となった。
 '27(S2) 第8回帝国美術院展覧会から新たに第四部に工芸が設置され、漆工の審査委員を務めた。その他、日本美術協会展審査主任も務め、'30 帝国美術院会員に任命された。
 作風は時代の傾向に醒めて自己の創意を完成し、金粉の蒔方、器物の形状などに新味を出し、手堅い気品の高い作品で知られた。また伝統的技法を踏襲しながらも、西洋画の描法を取り入れて写生的に表した作品も多いのが特徴で、現代漆芸界の巨匠と称された。胃潰瘍が原因で逝去。享年64歳。

<講談社日本人名辞典>
<世界人名辞典東洋篇>
<小学館 日本大百科全書>
<日本美術年鑑>


*墓石前面に「帝国美術院曾員赤塚自得之墓」と刻み、その左に「妻 啓子 正木宣表書丹」と刻まれている。左面に簡略歴が刻む。


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