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あいかわ はるき

相川春喜

あいかわ はるき

1909.8.15(明治42)〜 1953.4.29(昭和28)

昭和期の技術史家、社会運動家、著述家

埋葬場所: 25区 1種 48側(矢浪久雄)

 新潟県高田市(上越市)出身。本名は矢浪久雄。学生ストで第四高等学校を中退。産業労働調査所などに勤めた後、1932(S7)プロレタリア科学研究所、唯物論研究会に参加。'33「日本資本主義発達史講座」に『農村経済と農業恐慌』を発表。'35『歴史科学の方法論』『技術論』を刊行。'36コム・アカデミー事件で検挙され、翌年釈放されるも実践活動から離れる。
 '40〜'44 明治大大学講師などをしながら『現代技術論』『技術及び技術管理』などの技術論・文化論関係の著述を行なう。
 '44.7応召され、関東軍に配属。'45敗戦とともに逃走しソ連軍に投降。4年間シベリアに抑留される。日本人捕虜向けの「日本しんぶん」の論説を担当し、また日本捕虜兵士の民主化運動に携わる。'49帰国。
 戦後の技術論争に参加、在華同胞帰国協力会など広範な社会運動で活躍したが、日本共産党本部で選挙活動中に倒れ急逝。享年43歳。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>
<市民・社会運動人名事典>


墓所 墓誌

*寝石の墓石に「矢浪久雄 ここに眠る」と刻む。右側に墓誌があり、「筆名 相川春喜」とともに、簡略歴が刻む。

*墓誌には「矢野久雄 筆名 相川春喜 1909年髙田市に生れ、1953年4月29日歿す。44才。日本資本主義史 技術論に先駆的業績を残し、在ソ日本人俘虜 民主化運動 在華同胞帰国運動等、人民のために挺身した。 相川春喜小伝刊行会之印」と刻む。


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