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あいだ ぐんだゆう

會田軍太夫

あいだ ぐんだゆう

1900.4.11(明治33)〜 1981.5.10(昭和56)

昭和期の応用物理学者(特殊ガラス)

埋葬場所: 23区 1種 23側 1番

 宮城県出身。會田竹造、とめ(共に同墓)の子。會田は会田と書かれることもある。1923(T12)物理学校(東京理科大学)卒業。岩城硝子を経て、'41(S16)物理学校教授。'55物理学校卒業生で愛光会(光楽会と合併し光楽愛光会を経て、'79理窓光学会)を設立。のち東海大学教授、日本眼鏡専門学校校長を務めた。科学教育および科学評論を通じ、科学・技術思想の高騰をはかるなど科学技術の振興に貢献した。
 生涯を通じて、特殊ガラスの研究開発に携わる。主に照明用ガラス、光学フィルターガラス、鉄道信号レンズ、濾光ガラス、真空管およびテレビブラウン管球ガラス、グラス・ライニングなど。
 '63.10.9(S38)ガラスJIS制定などの功績で藍綬褒章受章(通産省工業技術院)。'70.4.29大型テレビブラウン管球開発の功績により勲四等瑞宝章受章(通産省工業技術院)。'75.4.29勲三等瑞宝章受章。
 主な著書に『科学評論』『光学技術ハンドブック』『科学と技術文化 弘文選書』『科学技術概論』『光学機器入門』『科学技術評論集 光学・技術・文化 会田軍太夫著作選集』など多数ある。日本ペンクラブ会員。享年81歳。没後、正五位。没後、'86功績を称え「會田記念賞」が理窓会に籍を置いて設立。年1回、10年間にわたって東京理科大学同窓で光学界に功績のあった人に授与し、併せて受賞記念講演を開催している。

<會田軍太夫著者略歴など>
<墓誌より>


墓所 レリーフ

*墓石は洋型「墓 會田家」。裏面は墓誌となっているが、墓所左側にも墓誌も建つ。墓誌に「すばらしい生命を得て 眞実に生き抜いた精霊 安らかにここに眠る」と刻む。戒名は瑞光院理覚軍徳居士。 妻は しげ(墓石裏面の墓誌には しげ子 と刻む)。墓所右側に會田軍太夫のレリーフがはめ込まれた功績碑が建つ。碑には「會田軍太夫の受賞内容」とタイトル付けされ、「多年にわたり、特殊ガラスの研究開発につとめるとともに、技術教育および科学評論を通し、科学・技術思想の高揚をはかるなど、科学技術の振興に貢献された功績によって受賞された(科学技術庁)」とあり、「藍綬褒章 ガラスJIS制定・通産省工業技術院・1963.10.9」「勲四等瑞宝章 大型テレビブラウン管球開発・通産省工業技術院・1970.4.29」「勲三等瑞宝章 科学技術庁・1975.4.29」「正五位 内閣・1981.5.10」と功績が並び最後に、「會田軍太夫の喜寿にこれをたてる・1977.4.11」と書かれている。


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