北海道札幌出身。阿部卯三郎・ヒデノの子。東京に出て錦糸町にて軍事工業の三信鉄工を営む。東京大空襲にて工場が全焼、48名の従業員が犠牲となる。戦後、軍事工場から民間工場に切り替え鉄工所を続け事業の再起をはかる。戦時中の山林の乱伐が原因で関東地域が大雨で河川が氾濫し工場が被災。大洪水は何度か起こり再起できず、'51頃に倒産。
戦前から築き上げてきた豊富な人脈を活かし、コンサルタント業を始める。その折、ヒノキチオールを抽出するボイラーを作ってもらいたいという相談を受けた。ボイラーは鉄工所時代に製作した経験があったため引き受け、'55 化学者の野副鐵男が発見したヒノキチオールの工業的な抽出の研究が始まり抽出用ボイラーの製作に成功。しかし、依頼者からお金がないため代わりに事業をしてほしいとヒノキチオールを引き継いだ。青森ヒバが生育する恐山まで赴き、素材を調べ、薬理効果に対する知見を得る。
'56.3.20 ヒノキ新薬株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。製法特許によるヒノキチオールを配合した世界初のピールオフ・タイプの美容パック「サンリョウパック」の製造販売を開始した。以降、ヒノキチオールを配合した、スキンケア製品「ヒノキ肌粧品」の研究開発・製造・卸売を展開。なお同社では化粧品とは呼ばず「肌粧品」(きしょうひん)と名付けている。
'58 小学6年生の国語教科書(大日本図書発行)にトロポロンの表題でヒノキチオールの生い立ちが掲載され、一般への認識が高まる。'59「サンリョウパック」を香港、シンガポール、タイなどへ輸出を始める。'60広報誌「あすなろ」を発行(2001より企業文化誌「エプタ」へ)。'62薬事法改正により、公定書外医薬品が医薬部外品に移行。'68頃より全国に販売会社の子会社を次々に設立し規模拡大につとめ、ヒノキ新薬グループ・ネットワークを確立する。
'76 息子の阿部武彦に社長を譲り、会長に就任。'81厚生大臣表彰を受ける。『檜花 評伝阿部武夫』(北岡和義・非売品)が発刊。'92(H4)妻で顧問を務めていた阿部ツネ(同墓)が逝去。'96創立40周年を機に、会長職を退き最高顧問に就任。記念出版『ヒノキチオール物語』を刊行。1997(H9)公正取引委員会・経済取引局長表彰を受賞。同年『檜の香り・阿部ツネの生涯』(北岡和義・髙嶋真嗣)刊行。
様々な文化活動支援にも取り組み、若き音楽家たちのピアノコンクールで「ひのき賞」「あすなろ賞」の贈呈や、音大生や研究生を対象とした共同住宅「ハウス・エプタ」を建設。これは全室が防音ルームとなっており、グランドピアノなどが設置されている。またレッスン室やコンサートが開催できるホールなどもつくり提供している。
創業から一貫して科学的な根拠やエビデンスのある化粧品づくりを信条に掲げ、これまで明確な論理性と科学性の裏付けのある製品(ヒノキ肌粧品)づくりと販売姿勢を貫いた。享年93歳。
<ヒノキ肌粧品 社史> <週刊粧業『ヒノキ新薬・阿部武彦社長、企業理念は「不変」であるべき』2013.6.17号、2015.9.15号>
*正面に三基。真ん中に五輪塔「阿部家先祖代々菩提」、左に観音墓石、右側に阿部武夫とツネの戒名が前面に刻む和型墓石が建つ。自身の墓石の裏面「平成五年二月吉日 阿部武夫 建之」、右面に自身、左面に妻のツネの没年月日・俗名・行年が刻む。阿部家五輪塔の左面「昭和三十七年三月吉祥日建之 功徳主 阿部武夫」と刻む。観音墓石の左面「昭和三十六年二月二十一日建之 施主 阿部武夫」、右面「西生孩子 昭和十二年十二月二十一日歿」。墓所右側に「阿部家墓誌」が建ち、阿部武夫の父の阿部卯三郎(S30.10.28歿 行年75)、母の阿部ヒデノ(S18.2.16歿 行年61)の刻みから始まり、二人は札幌市平岸霊園に眠ると刻む。水泡孩女(S13.12.21歿 *観音墓石にはS12)、阿部ツネの実母のカメ、武夫の妻のツネ(淳徳院義覚常葉大姉・H4.10.28歿 行年90)が刻み、次に武夫が刻む。戒名は宏淳院耀檜武徳居士。墓所入口右手側に妻のツネの清家の「小林家先祖代々菩提」と刻む五輪塔も建つ。両面が墓誌となっており、ツネの祖父の小林儀兵衛、父の小林儀右衛門、母の小林カメらが刻む。
【ヒノキチオール】
1936(S11) ヒノキチオールは化学者の野副鐵男の研究でタイワンヒノキの精油成分から発見された。当時、自然界には存在しないといわれてきた七角形の分子構造を持つこの化合物の発見は化学史上に残る偉業として世界的に評価された。その後、医学者の桂重鴻の研究でヒノキチオールには強力な殺菌・抗菌作用・消炎作用などがあることが発見され、結核などの治療効果をあげ、薬効を明らかにし、人材に対する安全性も証明した。このヒノキチオールを配合した基礎美容「ヒノキ肌粧品」を生み事業化に成功させたのが阿部武夫である。この三名はヒノキチオールの“3人の父”と称される。
ヒノキチオールは日本の檜にはほとんど含まれず、ヒノキチアスナロ(青森ヒバ)や台湾ヒノキなどの限られた木にのみ、わずかに含まれている。ヒノキ肌粧品で使用しているヒノキチオールは青森ヒバを製材するときに出るおが屑から取り出している。おが屑を水蒸気で蒸してヒバ油を採取し、そこから分離精製してヒノキチオールを抽出。ヒバ油はおが屑から1%しか取れず、その中に含まれるヒノキチオールはわずか1%であるため、2トン車いっぱいのおが屑から取れるヒノキチオールは、わずか200グラムであり貴重なものである。
ヒノキチオールの薬効は古くから「ヒバの不思議」として知られ、当初は優れた殺菌効果と消炎作用といった薬理効果しかわからなかったが、その後、メラニン抑制作用などが確認された。2012(H24)東京理科大学薬学部とヒノキ新薬の共同研究によりヒノキオールが老化制御に関与している「サーチュイン遺伝子」を活性化する新たな作用が発見された。
現在のヒノキチオールの薬効は、① 強力な殺菌・抗菌作用、② 炎症を鎮める優れた消炎作用、③ 強い皮膚浸透作用、④ 代謝を活発・正常化する細胞賦活作用、⑤ コラーゲン産生促進作用、⑥ メラニン生成抑制作用、⑦ サーチュイン(長寿)遺伝子活性化作用。
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