鶴岡さんとの思い出 3
鶴岡さんと肝胆相照らした物に・・・・・食道楽もあったかも。

とは言いましても決して高級なグルメの範疇ではなく、極々身近に存在する旨いものに目が無いというところが・・・・なにか痒い所に手が届く様な楽しい会話になっておりました。
だいぶ前に室蘭で宿泊したホテルの朝食。
お膳には焼き魚やなんやらのおかずの他に、「味付けのり」「生卵」「納豆」が付いていまして、閣下曰く「いや!ご飯のお供がこれだけ勢ぞろいしてたら、ご飯三杯食べなきゃ失礼になりますよね!」と。
「ただこれだけのご飯のお供の名優が揃っていると、どれから行くかが悩みの種ですね〜」等と本当に悩みつつ・・・・ご飯三杯を平らげ、「本当は朝からこんなに食べるとかみさんに怒られるんですけどね」と。
お互いに関東、北海道で行き来する時も、ベースには食べ歩きの旅が待っていました。
もう無くなってしまった室蘭「浜町ビヤホール」では、昭和初期を彷彿とさせる店内で「特製ポークチャップ」「カニチャーハン」をジョッキとともに頂き、我が家の近所に有る鶏炭火焼きの店「清月」へ行っては「腿肉」「ハツ」「スナギモ」をこりゃ〜旨いと。
また、今では全国的にB級グルメで有名になった美唄市の「美唄焼き鳥」も来札の際に出かけて何串もたいらげておりました。

こちらが横浜に出向いた時は「横浜中華街なんてのは今はもう観光客向けのばっかりですからね〜、本当に旨い所のご案内は任せておいてくださいや」と、横浜の住宅街に有る中国人コックばかりの小さなお店に案内され、メチャクチャ美味しい思いをさせていただきました。
中華街では悪ガキだった子供の頃、仲間とあちこちを荒らし回って?いたそうですが、朝に食べる「中華がゆと中華揚げパン油条(ヨウティアオ)」を食べたのが忘れられない思い出だったそうです。(横浜ランドタワー最上階展望室から下を眺めながら)

北海道にご家族でおいでの際にはMPMCの先代会長にご案内頂き、室蘭の地球岬で名物「つぶ焼き」を頂いたのは記憶に残るひとコマでした。
そして室蘭では何と言っても浜町天勝の「天丼」でした。
こちらもご家族で熱々の天丼を頂き、奥様と娘さんに「どうだ、美味いだろ〜」と終始ニコニコとされていたのは強く印象に残りましたね〜。
また、季節の食材はよく宅急便でやり取りをさせて頂いておりましたが、こちらがお送りする「厚岸の牡蠣」と「大アサリ」は大層お気に召していただいていた様で、毎年秋が深まって来ると「そろそろですよね〜」なんて電話がかかって来てましたっけ。
大アサリとバターで作るパスタは相当のお気に入りだったようで「いつも食べ過ぎて家内に怒られるんですよね!」と笑いながら・・・。
して、鶴岡さんからはそのお返しに「キウィ」と「マンゴー」が送られてきていました。マンゴーはお仕事柄、メキシコ産を直接業者さんから送って頂き、それまで左程マンゴーが美味しいと思っていなかった自分に、ネットリとした怪しい甘美なマンゴー本来の美味しさをバッチリお教え頂きました。
お酒につきましては、これまた明るく楽しいお酒を御一緒させて頂きましたね。
お仕事柄、お酒の機会は本当に多くて「嫌になっちゃいますよ〜」と仰ってましたが、実のところ・・・・嫌いではない…と言うのはちょっと語弊が有るのかな〜と…言いつつ、実は大好き!と言うのが実状だったりして。

浅草では名物「電気ブラン」を直流で(ストレート)と。
また、同じ浅草の屋台では生ビールから始まって「ホッピー」、「マッコリ」と呑み継ぎ、猛暑の中大汗をかきながら深夜まで呑み語ったのが良い思い出になっています。
そんなお酒にまつわる話では、びっくりするような写真を掲示板に投稿頂きました。
1977年 ドメーヌ・ルロワのロマネコンティ」・・・・。
業界のお歴々の食事会で出てきたそうですが、曲りなりにもワインも扱っている自分の判断では・・・・恐らく80万円くらいかと・・・
なんか驚愕してしまいましたが、お味は「美味いけど…値段相応かは…判りませんね〜」と仰ってました。
こっちとしてはガクブルものなんですけどね〜。