ライト兄弟による人類初の動力飛行からわずか10年後。
第一次世界大戦に早くも新兵器として登場した航空機だったが、当初は偵察のみを任務とし、敵の偵察機と出くわした際は、手を振ってすれ違ったという。
しかし、航空偵察の効果が上がってくるにつれ、敵の偵察を易々と許すことは出来なくなると、敵機を撃墜する必要が生まれた。
空中戦の始まりである。

初期の空中戦は搭乗員が手に持ったピストルの撃ち合いの他、積んできたレンガを投げる、ロープを引いて敵機を絡めとろうとするなどの方法が試みられた。ごく僅かながら撃墜も記録されているが、偶然出会ってしまった場合に相手の偵察活動の妨害が目的であり、積極的な戦果を望めるものではなかった。
地上戦で猛威を振るっていた機関銃の発達・軽量化が進むと、航空機への搭載が可能になったが、当初は地上の陣地と同じように可動式の銃架に据付けられており、必ずしも敵機を自機の前に捉える必要はなかったものの、命中率は低かった。

やがて、機銃を敵に向けて動かすよりも、機体前方に固定した機銃を装備し、機体の操縦によって狙いをつけることで命中率が格段に上がることがわかると、各国は軽量、高馬力の機体に前方機銃を持つ敵飛行機狩り専門の機種、戦闘機の開発が始まった。
攻撃の為には必然的に敵機を自機正面に捉え続ける必要があり、航空機同士の激しい格闘戦が行われるようになった。
これがドッグファイトの始まりである。
当時は複葉機が航空機のメインであり、低速で小回りが効く特徴のため、最高速よりも軽快な旋回性能が重宝される傾向があったため、ドッグファイトは空中戦の基本であった。単機格闘戦では操縦者の技量が如実に反映されるため、個人で5機以上の撃墜を達成したエースパイロットが各国で誕生し、もてはやされた。
ただし、重くて強力なエンジンを積んだ高速機による一撃離脱戦法も使用されており、第一次大戦の時点で、現在に通じる空中機動のほとんどは確立されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 
参加航空機
  大英帝国   ドイツ帝国
戦闘機 エアコー DH.2
偵察・攻撃機 タウベ
戦闘機 ソッピース キャメル
  フランス共和国   イタリア王国
  アメリカ合衆国   オーストリア・ハンガリー帝国
偵察攻撃機 ローナーL