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戦艦 三笠 1/350 ハセガワ
三笠は1900年3月にイギリス、ヴィッカーズ社バロー・イン・ファーネス造船所で建造され、同年7月に日本海軍に編入された。1905年5月27日、三笠を旗艦とする日本海軍連合艦隊は、ロシア帝国リバウ港から遠路大航海をやってきたロシア海軍バルチック艦隊を対馬沖で迎え撃ち、これを完膚なきまでに打ち破った。
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戦艦 敷島 1/700 モデルクラック
敷島は日本海軍の戦艦。敷島型戦艦の1番艦である。第二期拡張計画により建造された4隻の戦艦の第1艦で、イギリス・ロンドンのテムズ鉄工造船所で建造された。
日露戦争では主力艦として旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦と主な作戦に参加した。
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戦艦 富士 1/700 シールズモデル
日本海軍での近代的戦艦の第1号。日本海軍の軍艦で最高厚の装甲を持つ(最高457mm)。艦名は日本の最高峰富士山にちなむ。艦名としては明治初期の軍艦「富士山」に続いて2代目。日露戦争では主力戦艦として、三笠を旗艦とする第一艦隊第一戦隊に所属。旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦と主な作戦に参加した。
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戦艦 朝日 日本海海戦時 1/700 夢祭工房
日露戦争時の主力戦艦:敷島型の2番艦として1900年に英国クライド・バンクのジョン・ブラウン社で竣工しました。旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦に参加。
日本海海戦では第1戦隊の4番艦として活躍しています。 製作者 北國海軍工廠
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戦艦 朝日 竣工時 1/700 夢祭工房
日露戦争時の主力戦艦:敷島型の2番艦として1900年に英国クライド・バンクのジョン・ブラウン社で竣工しました。旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦、黄海海戦、日本海海戦に参加。
日本海海戦では第1戦隊の4番艦として活躍しています。 製作者 衛
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装甲巡洋艦 出雲 1/700 シールズモデル
六六艦隊計画(戦艦6、装甲巡洋艦6)の一つとしてイギリスに発注された。日露戦争では上村艦隊の一艦として活躍し、蔚山沖海戦では装甲巡洋艦リューリクを撃沈。その後の日本海海戦でも活躍。第一次大戦後、遠洋航海に「磐手」と共に使用されたこともあったが、日中戦争では第三艦隊の旗艦として上海に派遣された。
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装甲巡洋艦 磐手 1/700 シールズモデル
1901年(明治34年)3月18日、アームストロング社にて竣工。日露戦争時には最新鋭の装甲巡洋艦として第二艦隊に所属し、日本海海戦にも参加した出雲型装甲巡洋艦の2番艦。蔚山沖海戦、日本海海戦では島村速雄少将旗下の第二艦隊第二戦隊に所属して活躍している。
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装甲巡洋艦 浅間 1/700 シールズモデル
装甲巡洋艦 浅間は、大日本帝国海軍が日露戦争前にイギリスから購入した最初の装甲巡洋艦。
日露戦争では開戦初頭の仁川沖開戦でヴァリャーグ、コレーツと戦い、日本海海戦では舵機に損傷を負いながらも戦い抜いた。第二次大戦終了まで日本海軍の軍艦として活躍。
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装甲巡洋艦 常磐 1/700 シールズモデル
常磐は、大日本帝国海軍の浅間型装甲巡洋艦の2番艦。日露戦争では上村彦之丞中将率いる第二艦隊第二戦隊に属して参戦。旅順港攻撃、蔚山沖海戦、日本海海戦に参加して、日本海軍装甲巡洋艦隊の威力の一端を示した。第二次大戦では、機雷施設艦として終戦直前まで活躍し、1945年8月9日、青森県大湊でアメリカ軍による空襲を受け擱座した。
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装甲巡洋艦 日進 1/700 モデル・クラック(ポーランド)
日進は日露戦争開戦直前に、日本海軍がアルゼンチン海軍から買い取ったヘネラル・ガリバルディ級装甲巡洋艦2隻のうちの1隻である。その装甲の厚さと強武装のため、初戦で失われた戦艦2隻(八島、初瀬)に代わって第1艦隊第1戦隊に編入され、黄海海戦や日本海海戦の主力として活躍した。
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装甲巡洋艦 吾妻 1/700 シールズモデル
本艦は政治上の理由により、フランスに発注された装甲巡洋艦である。本級は六六艦隊の中でも特に船体の全長が135.9mと長く、ドックでの整備の際には浦賀ドックを使用しなければなかったと言うエピソードがある。1904年5月第2艦隊第2戦隊に所属して蔚山沖海戦に参加。日本海海戦では第二艦隊第二戦隊の主力艦として活躍した。
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通報艦 八重山 1/700 モデル・クラック(ポーランド)
八重山は、日本海軍の通報艦。艦名は、沖縄県の「八重山列島」にちなんで名づけられた。日露戦争に際しては、旅順攻略作戦、日本海海戦に参加。無電の存在しない時代には、その快速を生かして基地間の連絡や偵察任務等に活躍したが、通信技術の進展に伴いその役割を終えた。
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雷型駆逐艦 漣 1/700 シールズモデル(原型)
雷型駆逐艦「漣」は、イギリスのヤ−ロ−造船所に発注された6隻の4番艦で、明治32年(1899年)8月末に竣工。日本海海戦に主力艦隊 第3駆逐隊で参加する。1905年5月28日、重症を負ったバルチック艦隊司令官のロジェストヴェンスキー中将他幕僚が乗り組んで逃走していたロシア駆逐艦「ベドヴイ」を陽炎と共に拿捕。
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東雲型駆逐艦 陽炎 1/700 シールズモデル(原型)
東雲型駆逐艦 陽炎の外観は雷型より全長は短く、煙突が4本に対し東雲型は太い煙突が2本と力強さを感じる。日本海海戦に主力艦隊 第5駆逐隊で参加する。雷型駆逐艦「漣」と連携しロシア駆逐艦「ベドヴイ」拿捕とバルチック艦隊司令官のロジェストヴェンスキー中将他幕僚の捕獲が有名である。
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仮装巡洋艦 信濃丸 1/700 フェアリー企画
信濃丸は日本郵船のシアトル航路用貨客船として1900年4月竣工し、シアトル航路に就航した。日露戦争が始まると信濃丸は海軍に徴用。1905年5月27日午前2時45分、対馬海峡に向かうバルチック艦隊を発見、ただちに「敵艦見ユ」として知られる通報を送信した。
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巡洋艦 松島 1/700 シールズモデル
松島(まつしま)は日清戦争及び日露戦争で活躍した旧日本海軍の軍艦である。軍艦種別は巡洋艦。清国が保有していた戦艦「鎮遠」と「定遠」の2隻に対抗する軍艦として建造された。日本海海戦では3艦隊第5戦隊に僚艦厳島、橋立と共に参加。また5戦隊には、日清戦争で戦闘、捕獲した清国海軍二等戦艦「鎮遠」も行動を共にしている。
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巡洋艦 厳島 1/700 シールズモデル
日清戦争及び日露戦争で活躍した旧日本海軍の軍艦である。軍艦種別は防護巡洋艦、のちに二等巡洋艦。日露戦争では第三艦隊旗艦として活躍し、日本海海戦においてバルチック艦隊発見を受電して急行、その後バルチック艦隊と並走して東郷平八郎司令長官に向け、正確な位置、隊形、針路などを詳細に通報し、海戦の前座を見事に務めた。
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巡洋艦 橋立 1/700 シールズモデル
「三景艦」のうち、唯一の国産艦である。建造期間が他2隻よりも長く、竣工したのが日清戦争開戦直前であった。一説には、この橋立の竣工を待って開戦に踏み切ったとも言われる。日露戦争では、松島、厳島、そして旧敵の「鎮遠」の3隻と組んだ第三艦隊第五戦隊の旗艦をつとめた。
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通報艦 満州 1/500 フルスクラッチ
元々はロシアの高速客船で旧ロシア帝国汽船「マニジューリヤ」。
日露戦争開戦当時、長崎で修理中だったため、日本に接収され「満州丸」と命名。運用は大阪商船に委託され佐世保と前線間の連絡船として用いられ、中国方面の警備や測量などに従事したのち1906年日本海軍に編入された。
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輸送船 近江丸 1/500 フルスクラッチ
共同運輸会社が有事の際には軍艦代用としても使えるように計画された「近江丸」は、姉妹船の
「山城丸」とともに1884年に誕生した。就航の翌1885年(明治18年)6月、日本初の移民船としててハワイ航路に、「山城丸」とともに就航。1904年 日露戦争では陸海軍の軍用船(輸送船)として徴用された。
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