米西戦争は1898年にアメリカ合衆国とスペインの間で起きた戦争です。
当時キューバはスペインの植民地となっていましたが、住民に対する過酷な扱いが当時内陸の開拓に一段落したアメリカ国民にとってはセンセーショナルな出来事として伝わっていきました。
これには新興のマスメディア勢力で有った、米国内の新聞社の報道加熱といった様相もあると云われています。
1898年アメリカは居留民に対する安全確保を理由に艦隊を派遣しましたが、1898年2月15日にハバナ湾でアメリカ海軍の戦艦メインが爆発沈没し、260名の乗員を失う事故が発生しました。
アメリカの各新聞社はこぞってこれをスペインによる工作と決めつけ、メイン号の爆発は戦争への世論を非常に強力に形成していくことになります。
1898年4月11日、アメリカはキューバへ軍隊を米軍を派遣する議案を議会に提出。
19日に議会はキューバの自由と独立を求める共同宣言を承認し、大統領はスペインの撤退を要求する為に軍事力を行使することを承認しました。
これを受けて、スペインはアメリカとの外交関係を停止。4月25日に連邦議会はアメリカとスペインの間の戦争状態が4月21日以来存在することを宣言しました。

スペインはフィリピンで太平洋艦隊、キューバで大西洋艦隊を失い戦争の継続能力を失って、交戦状態は8月12日に停止しました。
和平条約は12月10日にパリで調印され、1899年2月6日にアメリカ上院によって批准されました。
これによりアメリカはフィリピン、グアムおよびプエルトリコを含むスペイン植民地のほとんどすべてを獲得しキューバを保護国として事実上の支配下に置くことになりました。
スペインはこの戦争の後、多くの植民地を失ったために国力が低下し、欧州での国際的地位も発言力も同時に失ないました。
秋山真之と米西戦争
秋山真之は1898年にアメリカへ留学していますが、同じ年にアメリカとスペインの間で戦争が勃発し(米西戦争)、秋山本人も観戦武官として参加しています。
スペイン領キューバのサンチャゴ港を封鎖する米艦隊に赴いた秋山は、そこでスペイン艦隊を封じ込めるためのサンチャゴ港閉塞作戦をつぶさに観戦し、更に港からの脱出を図ったスペイン艦隊と港を封鎖する米艦隊との間で行われたサンチャゴ沖海戦に遭遇します。
しかし、秋山をはじめとする各国観戦武官を乗せた武装輸送船「セグランサ」は戦闘に追随できず、秋山自身は海戦を直接観戦することはできなかったそうです。
そもそも誰もこの日にスペイン艦隊が脱出を図るとは予想しておらず、なんらの事前準備もできなかったわけで、致し方のないことと思います。
しかし秋山は、海戦後に擱座したスペイン艦を詳細に調査し、また戦闘の経緯についても綿密な調査を行っています。

そしてアメリカ側の勝利の影に隠れて見過ごされがちな米艦艇の砲撃命中率の低さを指摘し、かなり辛辣な批評をしています。このサンチャゴ港封鎖に始まる一連の作戦は、その後の日露戦争における旅順港封鎖に大きな影響を与えたと言われています。
参加艦艇
 U.S.S 戦艦メイン   1/700 コンブリック
米戦艦の黎明期に作られた一隻。
スペイン領キューバで独立運動が発生し、弾圧するスペイン軍との抗争が激化すると、本艦はアメリカ人居留民保護の名目でハバナ港に派遣され、停泊中に謎の爆沈をとげた。


 U.S.S 戦艦テキサス   1/700 NIKOモデル
メインとほぼ同時期に作られた、米戦艦黎明期の一隻。
米海軍は米西戦争において、サンチャゴ港の封鎖に持てる戦艦戦力の全てを注いだが、本艦はその中で最も古い戦艦。本艦はサンチャゴ沖海戦においても果敢にスペイン艦隊を追撃し、装甲巡クリストバル・コロンなどと砲火を交た。

 U.S.S BB3 戦艦オレゴン   1/700 YSマスターピース
本艦はメイン、テキサスに次いで建造された米海軍初の本格的な戦艦、インディアナ級の3番艦。サンチャゴ沖海戦では予想外のスペイン艦隊の封鎖突破に僚艦が出遅れるなか、いち早く追撃を開始し、海戦史上でも珍しい戦艦による巡洋艦への追撃戦を展開している。
 U.S.S BB3 戦艦オレゴン   1/350   グレンコ




 U.S.S BB4 戦艦アイオワ   1/700 NIKOモデル
本艦は前級インディアナ級の改良型として1897年に竣工した戦艦で、米海軍初の航洋型戦艦です。インディアナ級の欠点だった航洋性を改善するため、長船首楼型の船体を採用して乾舷を確保しています。それに伴い重心が上昇するのを避けるためタンブルフォーム船体として、同時に主砲を前級の13インチ砲から12インチ砲に小型化しています。
 装甲巡洋艦 インファンタ・マリア・テレジア  1/700 WSW
スペインで建造された装甲巡洋艦インファンタ・マリア・テレジア級の1番艦で、キューバ派遣艦隊の旗艦としてセルベラ提督の将旗を掲げた。
サンチャゴ・デ・キューバ海戦でアメリカ艦隊と交戦の末撃沈された。