ゲーベン追跡戦とは第一次世界大戦勃発時に地中海で生起した軍事行動であり、イギリスの巡洋戦艦インドミタブル、インディファティガブルからなる地中海艦隊が巡洋戦艦ゲーベンとマクデブルク級軽巡洋艦ブレスラウからなるドイツの地中海艦隊の行動を妨害しようとしたものである。
ドイツ艦隊はイギリス艦隊から逃れ、ダーダネルス海峡を通過してコンスタンティノープルに至った。このことはオスマン帝国が同盟国側で第一次世界大戦に参戦するきっかけとなった。

トルコに向かったゲーベンの速力は27ノットであったがボイラーの損傷のため24ノットしか出せなかった。ゲーベンにとって幸運なことにイギリスの2隻の巡洋戦艦もボイラーに問題を抱えておりゲーベンの速度についてくることができなかった。インドミタブル、インディファティガブルは遅れ、軽巡洋艦ダブリンが接触を続けたが、霧および日没のためシチリア島北岸のサン・ヴィト岬沖でダブリンはドイツ艦隊を見失った。ゲーベンとブレスラウは8月4日深夜にメッシーナに到着した。また、ドイツはイギリスと戦争状態になった。
その後イギリス艦隊の追撃をかわしたゲーベンとブレスラウはコンスタンティノープルに到着した。到着時にはまだオスマン帝国(トルコ)は中立を維持していたが、武装解除も退去要請もせず、両艦はオスマン政府に買い上げられることとなった。イギリスはこの措置に強く抗議したものの、決定は覆らず両艦はオスマン帝国海軍所属となり、こうしてゲーベンはヤウズ・スルタン・セリム、ブレスラウはミディッリと改名された。しかし、乗員はそのままドイツ人であり、ゾーヒョンはオスマン帝国海軍の司令長官に任命された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 
参加艦艇
 大英帝国海軍
 サー·アーチボルド・バークレー・ミルン中将

  ドイツ地中海艦隊
 ヴィルヘルム・フォン・ゾーヒョン少将
巡洋戦艦 インディファティガブル 巡洋戦艦 ゲーベン