黄海海戦
黄海海戦(こうかいかいせん)は1894年(明治27年)9月17日に日本海軍連合艦隊と清国北洋艦隊の間で戦われた海戦。
鴨緑江海戦とも呼ばれる。
初めて近代的な装甲艦が実戦に投入された戦いとしても知られる。この海戦の結果、清国海軍は大損害を受けて制海権を失い、無力化された。
海戦は連合艦隊が鴨緑江の河口付近に碇泊している北洋艦隊を発見したことから始まった。北洋艦隊はリッサ海戦におけるオーストリア艦隊に倣い横列陣で海戦に挑んだが、連合艦隊は単縦陣を用いた。連合艦隊側の主砲弾は小型の速射砲で多量の砲弾をばらまき、敵よりも優れた速度で艦隊行動を行った。対して北洋艦隊の大型砲の命中は一発だけで、連合艦隊艦艇に衝角をぶつけて攻撃しようとしたものの失敗に終わり、5隻の巡洋艦(「経遠」「致遠」「揚威」「超勇」「広甲」)を失ったほか、その他の艦船も重大な損傷を受けてしまった。結果、北洋艦隊は撤退を余儀なくされ、威海衛へと向かった。連合艦隊は旗艦が損傷したため、北洋艦隊を追撃することはなかった。
日本側の艦船に沈没艦はなかったが、旗艦の巡洋艦「松島」、巡洋艦「比叡」、仮装巡洋艦「西京丸」、砲艦「赤城」の4隻が大破した。また、日本海軍が初めて経験する本格的な近代的海戦であったため混乱も目立ち、鈍足艦が敵の真っ只中に取り残されたり、他艦の射線上に別の艦が割り込んで砲撃を阻害したりするなどのトラブルが起きた。旗艦大破で追撃を断念した事に対しても、さらに追撃して攻撃を続行すべきだったという指摘もある。

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参加艦艇
 日本海軍   清国海軍
松島
厳島
橋立
扶桑
千代田
吉野
浪速
高千穂
秋津洲
比叡 
赤城
西京丸
定遠
鎮遠
来遠
経遠
靖遠
致遠
平遠
済遠
超勇
揚威
広甲 
広丙

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参加艦艇
  戦艦 定遠            1/350 ブロンコモデルフルスクラッチ
ドイツのフルカン社で建造された清国北洋水師の旗艦。その巨砲と強固な装甲は日本にとって大きな脅威であった。
こちらはブロンコモデルの1/350です。大型の迫力有る模型をご堪能ください。

  戦艦 定遠            1/700 フルスクラッチ
ドイツのフルカン社で建造された清国北洋水師の旗艦。その巨砲と強固な装甲は日本にとって大きな脅威であった。
日清戦争の黄海海戦では清国艦隊旗艦として日本艦隊と死闘を繰り広げ、150発を超える命中弾を受けながらも機能を喪失することなく戦い続けた。
        

  装甲巡洋艦 経遠       1/700 フルスクラッチ 
黄海海戦で日本の巡洋艦吉野、高千穂、秋津州、浪速からなる高速艦遊撃隊と戦い、清国艦隊の先頭にあった経遠は遊撃隊の吉野から猛烈な集中射撃を受けて炎上沈没した。

  防護巡洋艦 済遠       1/700 フルスクラッチ
清国海軍がドイツのフルカン社に発注して就役させた防護巡洋艦。
日清戦争の豊島沖海戦、黄海海戦、威海衛の戦い後、威海衛で日本軍に降伏し鹵獲され、日本海軍の巡洋艦として艦籍に入る。 日露戦争で旅順港外にて二〇三高地砲撃中、触雷沈没した。

  防護巡洋艦 靖遠      1/350 ブロンコモデル
本艦は列強の東洋支配に対抗すべく、清国が自国の沿岸防御のためにイギリスに発注した致遠級防護巡洋艦の一隻である。日清戦争では黄海海戦を生き延びたが、威海衛にて日本海軍水雷艇の攻撃を受け沈没。

  水雷艇 福龍       1/700 フォーサイト 松島おまけより精密加工
清国 北洋出師(北洋艦隊)所属の水雷艇「福龍」
ドイツのシ−ヒャウ社で1886年(明治19年)に建造されました。
日清戦争では、黄海海戦に参加する。
海戦では、日本艦隊に随伴する報知艦「西京丸」に肉薄、雷撃を行っている。
  巡洋艦 厳島・橋立      1/700 シールズモデル
日清戦争・黄海海戦で日本艦隊の主軸を勤めた巡洋艦。
清国戦艦「定遠・鎮遠」に対抗するために船体には合わない巨砲を搭載。そのため主砲は実戦では殆ど役には立たなかったが、軽快な運動性と速射砲の攻撃で敵戦艦と5分に渡り合った。

  巡洋艦 松島          1/700 シールズモデル
明治18年度計画で清国の定遠型装甲艦2隻に対抗する為日本海軍のお雇い技術者で来日したフランスの造船家エミ−ル・ベルタンの創案、設計による防護巡洋艦「厳島型」の2番艦である。「松島」は2番ではあるが1番艦の「厳島」が頻発する故障に信頼性の面から日清戦争時は旗艦を努める事となる。

 仮装巡洋艦 西京丸     1/700 フルスクラッチ
西京丸は1885年、郵船創立後最初の新造船としてグラスゴーのロンドン&グラスゴー造船所で建造され、上海航路に就航。日清戦争・黄海海戦に仮装巡洋艦として戦況視察の目的で参加したが、いつの間にか海戦の真っ只中に取り残され、戦艦鎮遠の主砲弾が命中したり水雷艇の魚雷攻撃を受けたが、辛うじて帰還を果たした幸運な艦。

  防護巡洋艦 吉野      1/700 モデルクラック
イギリスのアームストロング社で建造され、日本に回航される際に秋山真之が航海士を務めています。
豊島沖海戦や黄海海戦では坪井提督の指揮のもと獅子奮迅の活躍をし、戦史にその名を刻んだ武勲艦です。

  巡洋艦 筑紫         1/700 S−Model
チリ海軍がイギリスア−ムストロング社で建造途中の艦名「ArturoPrat」をキャンセルしたが、海軍力増強に力を注ぐ日本海軍が明治16年度計画で「筑紫」として購入。気走を主体とする全鋼製で強制通風式缶、水圧式の主砲旋回装置・揚弾装置、白熱灯などの先進技術と装備を備えた船である。

  装甲コルベット 扶桑    1/700 夢祭工房
扶桑(ふそう)は、日本海軍が保有した中央砲郭装甲艦である。当初は一等軍艦、のち、二等戦艦から二等海防艦に類別された。日清戦争黄海海戦では本隊で参加。
乱戦のさなか「定遠」「来遠」の衝角攻撃を受けるが、左舷にかわすことに成功して虎口を脱出した。