第一次世界大戦では、ドイツやフランス等の鉄道網が整備された国々は、平時には徴兵制度を施行して戦力となりうる国民の大部分に訓練を施し、戦時には鉄道を使って国民を総動員することで、短期間のうちに国境線に常備軍の規模をはるかに超える大部隊を集結させることが可能となった。

19世紀後半以降、歩兵は射程距離の長い連発のライフル銃を装備するようになり、弾幕射撃の威力と精度が増し、ナポレオン戦争の時代まで勝敗を決する地位を占めてきた騎兵突撃が無力化された。
また、日露戦争などで組織的に使用され始めた機関銃は、第一次世界大戦で大規模運用されて大いに威力を発揮し、突撃する歩兵が鉄条網で足止めされたところを守備側が機関銃によって撃ち倒し、攻撃側は多数の犠牲者を出した。
このような防御側優位の状況の中、西部戦線では塹壕戦が生起し、各陣営共に長大な塹壕を掘り進めた結果、戦線は膠着状態に陥ってしまう。
機関銃などの投入により、事態打破の為の歩兵による突撃は簡単に阻止される、防御優位の状態となった。
スイス国境からイギリス海峡まで延びた塹壕線に沿って数百万の若者が動員され、ライフル銃や機関銃による弾幕射撃の前に生身の体をさらした。こうして、それまでに行われた国家間の戦争に比べ、死傷者の数が飛躍的に増加した。
その為、双方とも塹壕に篭り陣地を構築して戦線が膠着し、それを打開するために突破兵器で有る戦車を誕生させる要因となっていく。
また、塹壕戦を制する目的で、第一次世界大戦では初めて化学兵器(毒ガス)が使われた。

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