投票率は48.44%で、前回より2.49%ポイント上がったとはいえ、有権者の半数以下なのである。松沢氏の得票率は32.61%、有権者約7人に1人の信任を得たに過ぎない。
松沢氏は、財政再建などの具体的な数値目標や実現時期を明示したマニフェスト(政策綱領)を掲げ、無党派層に政策を評価されたと言われている。若さと男性的な強さ、行動力への魅力もその応援に動いた中田横浜知事の人気と共通していた。実際には自民・公明・保守の推薦した宝田氏に票が集まらなかったことは、現政権への変革の期待を持ちながらも、保守色の強い松沢氏に票が集まったといえる。しかし、その「地方からの改革」を掲げた政策の内容が本当に一般市民の望むものであったのであろうか。
今回の知事選で無党派・革新・平和・環境を掲げる候補、女性候補が乱立し、統一した選挙への取り組みができなかったことも、選挙結果を左右するものとなったとも言える。思いを一つにすることは難しい。
世界中で、日本各地で反戦パレード・「平和」運動が高まっている中で、3月20日からはアメリカのイラク攻撃が始められた。そのような状況の下で、選挙の告示がされ、投票日となった。平和への思いが投票にどのように結びついたのであろうか。
5月14日有事関連法案が衆議院本会議で可決された。松沢知事は、「県民の安全・安心や危機管理の観点から不測の事態への対応があらかじめ決められ、その手続きが明確にされる」と評価するとの見解を示したと報道された。福祉について見ても、中田横浜市長の掲げる福祉は、公立保育園の民営化を進めるものであったが、松沢知事の福祉改革が何を実現するものなのか、環境政策、女性政策についても、不況下で生活に喘ぐ市民に顔を向けたものであるかと、今後も注目していかなければならない。
港北選挙区の県議選の結果は、現県議が全員当選となり変わらず、市議選の結果は、与那原寛子元市議が落選し、川口珠江さんが当選となる。平和を主張する議員、女性議員が増えるという結果とはならなかった。投票率は、知事選46.86%、県議選46.86%、市議選46.84%といずれも、横浜市内で、都筑区、青葉区に次いで下から3番目という低投票率であった。東京から近く、「東京市民」という傾向が強く、なかなか神奈川・横浜の行政が身近なものと感じられていないことは残念である。
小さなごまめたちにとって、統一地方選の公開アンケートは選挙アンケートの中でも一番大変だった。作業日を3月21日としたため、WORLD PEACE NOWのパレードにも参加せず!!、朝から夕方までに3冊の冊子の印刷・発送作業となってしまった。
知事立候補予定者が7人となった。最後になって立候補を表明した田嶋さん、遠藤さんはお願いをしたが、返事をいただけないままとなったが、それ以外の方からは回答をいただくことができた。県議(港北区)は6名の立候補者があり、回答をいただけた方は4名であった。市議(港北区)候補者13名の内回答をいただけたのは7名である。県議・市議とも自民、公明の方の回答は前回同様にいただけなかったことが気になる。ある自民の県議の方など、電話口でお願いの話しを始めようとするとガチャン!!!と切られてしまったが、小さな市民の声などに耳を傾ける必要は感じていないようである。こうしたアンケートに答えるよりは支持者を固めるなど別の活動に時間を使う方が有効だと判断する候補者があっても不思議はないし、回答しないという「回答」を1票行使の際の参考にすればよいのだと言う意見もある。しかし、私たちの身近な課題への対応策について、自治体の議員に立候補しようという人から回答がもらえないということは非常に残念である。
選挙期間中いたるところで選挙カーにぶつかった。ほとんどの候補者が一様に名前を連呼し、「お願いです」「皆様のために働きます」と叫んでいた。これでどうして投票する人を選ぶことができよう。
ごまめの公開アンケートは、私たちの身近にある諸課題に対して、それぞれの候補者がどう考えているのか、どう対処しようとしているのか、ストレートに問い、その答えを聞いて、1票の行使にあたって参考にしてもらおうというものである。今回の公開アンケートも、候補者によって回答がずいぶん異なり、見ていただけた方には十分参考としていただけるものになったと思う。
しかし、一体どれだけの方に見ていただけたのかということが気にかかる。これまで通りごまめのつぶやきの読者への郵送やご近所やお店に来た方への手渡しもしてきた。新聞での公開アンケートの紹介の報道がなかったためか、ファックスや郵送でのアンケートの請求は残念ながら今までに比べると少なかった。
2001年の公開アンケートからは、紙面によるもののほかにインターネットでも回答を公開し、できるだけ多くの方に見ていただけるよう努力して来た。ホームページは、「らくらく港北」「アリスセンター」などにリンクされ、「草の根援助運動」、「K−NET」、「PARC(アジア太平洋資料センター)」のメーリングリストに紹介が流された。地道に続ける意義を評価しつつ、今後の公開アンケートのあり方・方法をさらに検討していく必要を感じさせられた。
市民のボランティアによって開催された公開討論会の場でも、公開アンケートの案内を配布させていただいた。会場ではボランティアの若い方々が生き生きと活躍していた。候補者の方々が互いの主張をぶつけ合うおもしろさだけでなく、表情や人柄なども知ることができ、参加してよかったと感じさせられるものだった。低投票率の原因の一つは、公開討論会もないような現在の選挙制度自体に原因があるとも言える。短期間の駅前の演説と選挙カーの連呼、選挙公報、選挙ハガキと電話だけではおもしろ味もなく、有権者の側の問題だけではないとも思いませんか。
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ものごとの決め方について
私はもともといろいろなことに疑問を持つ方なのだが、昔からずっと疑問に思っていることがある。
それは、「ものごとはどうやって決めるべきなのか」ということである。
職場でこの疑問を同僚に投げかけると、この忙しい時代になんでそんなことにこだわるのか、おかしなやつだという目で見られ、返って来る答は「民主主義だから多数決に決まっているだろう」とか、「組織での意思決定は案件の大小で決まっている(重要案件はトップ、それ以外は部課長、小さな案件は担当者が決めて良いなど)だろう」とあっさり言われる。みんなは「決め方」なんてことには疑問を抱かないのかと思う。
多数決と一概に言っても、いろんな形があると私には思えるのだが、多くの人は絶対多数で決めるのが多数決であると理解しているようだ。
では、こんな問題はどうか。
例えば、A、 B、Cの3つの案から1つを選ぶとしよう。A案は4割がトップで支持しているものの残る6割の人は最悪と考えており、B案はトップで支持する人は3割だが他の7割の人も次善の策であると考えている。このような場合、あくまでも絶対多数によりA案を採用すべきなのだろうか。
| 案 | 支持 | 次善策 | 不支持 |
| A案 | 4人 | 0人 | 6人 |
| B案 | 3人 | 7人 | 0人 |
| C案 | 3人 | 3人 | 4人 |
この表のような場合には、むしろB案の方が望ましいのではなかろうか。あるいは、もっと話し合うことによって、A案の欠点を補い、B案の良さを取り入れた、皆がより満足できるD案が浮上してくるかもしれない。
しかし、世の中ではこうした検討があまりなされないまま、絶対多数の多数決が幅を利かせているようだ。私が少数派になることが多いからそう思うのかもしれないが、どうも納得がいかないことが多い。そのときどきの決め方が独立している場合には、例えば10対1でいつも否決するのではなく、10回は多数派で、次の1回は少数派の考えを採用する方が理に叶うし、民主的ではないのだろうか。
首長の選挙はこうした疑問が生じる顕著な例である。立候補者が多数乱立した場合、絶対多数は死に票が多くなる。多数得票者は、ときによると最も嫌われている人のこともある。
実は、そんな疑問を持っていたところ、出会ったのが佐伯 眸著「『きめ方』の論理・社会的決定理論への招待」である。この本では何と多数決原理の矛盾が数学的に証明されている。「数学的」にも証明されていることに驚くとともに、「目からウロコ」が落ちた。新鮮な体験だった。
多数決は必ずしも正しくなかったんだ。でも、多くの場合そのことは世間では認識されてはいない。
この本では、社会的な決定をテーマに、多数決原理の矛盾から説き起こし、民主的な決定方式、社会的正義などを論じながら、最後に多様性の中に調和をということで倫理社会における決定理論を提示している。社会(二人以上の人間で構成されるもの)でものを決めるにはどのような方法があり、それぞれにどんな特徴があるのかについて、じっくり学ぶのに最適なテキストである。
私の疑問の正当性が認められたようでうれしかった。どんな社会が望ましいのかはよく議論しなければならない課題なのだということも、自信をもって言えるようになった。
しかし、世の中の大きなうねりを見ていると、気になることも多い。スピード・コスト重視というかけ声が大きくなり、競争原理がのさばってきて、話し合っていい方法を見つけようとすることが軽視されている。自由の尊重とは言うけれども、結局は協力よりは競争であり、強いものが勝つという社会になりつつある。
囚人のジレンマにあるように、長期的な信頼関係を構築することが、長い目で見てお互いの利益につながるはずなのに。信頼関係を基礎にした、のぞましい決め方により、よりのぞましい社会はどうしたら作れるのかと疑問に思うばかりである。
(昆 文雄)
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◇近現代史学習会 2002年12月7日◇
『心のノート』講演会報告
心のノート講演会の日は静かな雨が降っていましたが、大倉山記念館のそばで若者たちがアカペラ(ハモネプ)の練習をしてました。うるさいのじゃなくて静かな曲。聞き惚れてしまいました。 さて本題です。
講師の北村さん!とってもステキな方でした!私はすっかりファンになっちゃった。
お会いできて本当によかったです。あんなふうに年齢を重ねられたらという、まるで私の生きたモデル。1925年生まれなんですって!私の母と一才違い。なんでこんなにお若くお元気なんだろう。・・・は余談でした。
これは<私は北村さんの話されたことをこう理解した>という報告です。
◆心のノートについて
そもそも手続きが変!
4月にいきなり各地の教育委員会に道徳の教材として心のノートがドサッと文部科学省から送りつけられたそうです。各教育委員会は保管するにも場所をとるので、考えなしに各学校に配ってしまったそうです。でも大阪など地域によってはしばらく配らなかった教育委員会もあるそうです。大阪の場合、「人権読本」というすでに大阪で使っている冊子と内容が重なるという理由だったそうですが。
夏休み前、各地域の教育委員会あてに各学校への「心のノート」配布状況の調査依頼がありました。教育委員会への圧力ですね。しかもそこにはなぜか<盲・聾・養護学校は調査の対象としない>とありました。今年春から始まった「ゆとり教育」の背景には、新自由主義とかいわれてる、子どもの能力によって振り分けをすることで階層化社会を実現して政財界を活性化させようという思惑があるという噂があります。江崎玲於奈がこれからは就学時に遺伝子検査を行う時代が来ると言ったとかなんとか・・・そういう話が本当のことのような気がしてくるエピソードでした。そういえば横浜市では大変に近い将来、学校二学期制になるそうですね!それも夏休みを二つに分けて年に二回まとまった休みをつくることで経済の活性化をねらってるという話しがあるようです。私たちの知らないところでいつの間にか色んな青写真が敷かれているのかなぁ・・・・
しかも来年度は「心の教育の充実」の予算が増やされて今年7億6千万円!? だったのが8億3千万円になり、さらには「心のせんせい」っていうのが雇われて学校にずかずかやってくるそうです! そして道徳の公開授業が全国的に展開されるそう。う??ん、私が雇われたい・・・でももらった資料には、非常勤講師:著名人って書いてあったなぁ。どんな先生に何をやらせたいんだろ?
心のノートの内容
1.自分を律すること 2.他人とのかかわり 3.畏敬の念 4.社会とのかかわり
心のノート4冊(小学校低学年、中学年、高学年、中学生)は、上の4つの視点が学年に応じて構成されています。つまり繰り返し同じことを子どもたちに問いかけるわけです。そして中学生用冊子の終わりの方のページには大いなる山河にただよう雲の絵柄の背景に、「我が国を愛し、その発展を願う」とあります(心のノート最終目標)。
建国神話や教育勅語世代の北村さんは、心のノートが戦前の修身にそっくりだといいます。違いは修身が有無をいわせず、ただ暗記しろ的使われ方だったのに対し、心のノートはノートと称して徳目(報告者注:思いやり、ありがとう、礼儀など道徳的資質を表す項目。世の中が求めているもの)ごとに自己点検を強い、改善方法をみつけて書き込ませる仕組みになっている。ところがなぜあやまちをしてしまったのか、どうしたらよいかと問いながら、期待する解答が(報告者注:心のノートのつくり手が期待する解答が)すぐみつかるように(報告者注:あらかじめノートに)用意されている。子どもには、求められているものが何かが敏感にわかる。心にもないことでも要求に応じて書く。それを続けているうちに、それが自分の考えのようになっていく。それが教師用に用意された「心のノート活用のために」という手引き書にいう「一人一人の児童生徒が道徳的価値を自ら求め、自覚していく」ための手法である。(資料:週刊金曜日2002.8.2北村小夜より)
確か生徒のボランティア活動に対して単位として認めるという道が開かれたと聞いています。それについても文部科学省は「(ボランティアへの)自発性は結果でよい」としているそうです。プラックユーモアみたいよね。受験科目だからボランティアしろと強制する奉仕活動なんて、ボランティアといえません。子どもたちはそこから何が学べるんだろう。北村さんは心のノートの作られ方にも、同様の作意を感じるそうです。
◆心のノートについてまとめ
背景
教育基本法見直しも視野に入れた教育改革がすすんでいます。市民が作った歴史教科書などは裁判しても認めないくせに、この心のノートはすべての教科書に優先する特殊な教材として、まるで国定教科書のように日本全国の子どもたちに手渡されました。
反応
子どもたち「何でこんなこと、書かなきゃいけないの?」
「これどうすんの?(書き込んだ冊子に対して)」
「誰が見るの?」
大人たち
「新興宗教のパンフレットのよう」
「まるで修身そっくり」
「偽善のかたまり」
私の感想
この心のノートは子どもへの暴力、教育への政治の介入だと思いました。
何が最も許せないかっていうと・・・・
1)解答の例があらかじめ用意されていること
2)先生が読むこと。他人も読めること。
オームが同じこと(洗脳)をしたら公安問題なのに、学校では<道徳教育>ってよばれる。<?>って思う。
解答スペースが白紙の本当のノートで、ただ子どもに手渡され、授業で使ったとしても先生がチェックしたり回収したりすることがなく、プライバシーが守られ、日記のように自由に子どもが書き込めるものだったら問題ないと思いますが。
でも北村さんは、そもそも<道徳>という教科が正式に学校にあること自体がおかしいといいます。
例えば心のノートの3、4年生用に、「ありがとうをさがそう」「思いやりをさがそう」というページがあります。どんな内容かというと、以前流行った何とか君さがし絵本みたいに、ありがとう君キャラクターを細々した生活の場面の町の絵の中から見つける趣向になっているのです!学校の教室に先生らしき人物がいて顔がありがとう君になっている。台所に立っているお母さんらしき人物の顔がこれまた同じ顔のありがとう君になっているというわけ(爆!)
<ありがとう>っていう概念を、自分の実体験に結びつけて理解するのではなく、ゲーム感覚で丸飲みに理解させようとしています。
北村さんはこういうことを「徳目の羅列の無意味さ」と表現しました。
北村さんは道徳的なこととは、お互いの生き方・関係性のなかで、様々な生活の機会に子どもが自ら学びとっていくべきもので、国家が介入して上から子供を国の都合のよい型にはめる(学校の道徳授業)べきものではない・・・とおっしゃっていました。私は北村さんに大変共感しました。
でも教科として実際に道徳が存在する以上、先生は道徳授業を行わなくてはなりません。北村さんにどんな内容がふさわしいとお考えですか?と質問しました。北村さんはそれに答えて・・・
「とにかく心のノートは使わないでほしい。どんな授業内容にするかという裁量は学校や各担任にまかされています。絶対心のノートを使わなくちゃいけないわけじゃありません。そうですね。例えば先生が最近読んで自分が感動した本の話しなんかしてあげるのがいいんじゃない?」
先生が生身の人間として、ウソじゃない自分の体験や気持ちを子どもたちに話してあげることは、北村さんがおっしゃるように本当に子どもたちも自分の身になる何かをつかめると思いました。自分ではふだん実践してもいない、心にもない良いこと(例えば心のノートに書かれているような徳目の羅列)を、<1+1=2>なんだから・・・みたいに、子どもたちに右へならへと押しつけても、子どもたちには役に立たないと私も思いました。でも・・・
有事立法だとか住基ネットだとか、国家の都合で国民を一つに束ねようとする力が強まるなか、現場の先生方はうっかり「心のノートはよくない」なんて発言すると、教師としての指導力不足の問題にすり替えられ、糾弾されたりする羽目にもなりそうな雰囲気があるそうです。北村さんは、ぜひ保護者たちから異議の声をあげていってほしいと言っていました。
北村さんにお会いした日、実家の母とも会いました。
わたし
「ねぇ、修身ってお母さんの世代のことだよね。歴代天皇の名前、全部暗唱できる?」
母
「何だら、かんだら・・・・(暗唱してる!)今の日本が駄目になったのは、修身を教えなくなったからよ。心のノート、できてよかったね。」
北村さんたちは、世の中に徳目の羅列をもとめる、<今の子どもはダメになった>という声が、心のノートの存在を許す背景になっていると言っていました。これは大事なことだと忘れないようにすることにしました。
週刊金曜日 北村さんの資料から
・・・私自身は、国定教科書第三期最後の世代で、結局、期待に応じているうち、あたかもそれが自分自身の考えのようになり、軍国少女に育ち、戦争のために青春を費やしてしまった。その過程では礼儀正しく、勤勉で勇気があり、親孝行で忠義な人ばかり出てくる「修身」に辟易したり、我が行いと比べてめげたりしていた。
つもりつもって小学校卒業に当たって教師たちに、「修身に書いてあることは、みんな本当のことですか?」と聞いた。担任の教師は「疑いながら勉強していたのか。がっかりした。」と言ったが、もう一人の教師が「忠義も孝行もまれなことだから教科書に載るのだ。みんなが孝行で忠義だったら忠孝を説く必要はない。」と言ってくれた。一息つける言葉であった。
「心のノート」を持たされた子供たちにも、なぜこんなものが今配られるのかを考えさせてくれる大人が必要であろう。 (北村さんの文章より)
私の母の子ども時代にも、北村さんが出会った先生のような大人が一人でも周りにいたらよかったのにね。
息子が宿題で心のノートに思ってもいないことを書き込むのを黙って見守った。そういえば作文にも思ってもいない良いことしか書かない息子。これからは、たまには彼の本当の気持ちを聴いてあげる時間をもとう。
モニカ(マジカルチャイルドクラブ)
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家庭菜園日誌−2002年冬から2003年初夏 
地場産の野菜と都市での自給について
家で育てたトマトなどを職場に持っていったことで、私が野菜を作っていることを知った人から、秋口に「のらぼう」の種をいただいた。春先に出てくる蕾(とう)を食べる野菜で、漢字では「野良坊」と書き、東京の多摩地域、現在の日野市あたりを原産とする地場野菜であるらしい。
聞いたことのない名だったが、10月初旬、とにかく種をまいてみた。結果は上々で、間引き菜のときは若干の甘味があって味噌汁の具によく合い、大きくなってからは、伸びてきた蕾をかき取って茹でるとくせがなく、お浸しをはじめとしていろいろに使えた。
近くの畑でもよく似た菜があるので聞いてみると同じもので、菜種油を取るアブラナの原種のようで、一般的には「かき菜」の名で神奈川県でも育てられていることもわかった。比較的容易に園芸店で種も手に入れることができるそうである。在来種がだんだん無くなっていくなかで、受け継がれてきたもののようだ。
蕾は、かき取ってもかき取っても次々に出てくるので、一株から何度も収穫できる。かき取りは機械化できず、商品作物としては手間がかかるために、あまり作られていないのだろう。かなり大きな株になるが、そんなにたくさんはいらないし、ちょっとした空地でも十分作れる。育ちやすく、しかもあまり流通していない野菜は家庭菜園にはうってつけで、この「野良坊」を知ったことは今年の大きな収穫であった。
野菜にかんしては、これまでは家庭菜園のレベルでしか関心がなかったが、区の都市計画マスタープランづくりにかかわったことで、都市における農業や農地のことを考えるようになった。
都市の食料問題を考えるうえで非常に興味深かったのは、キューバの話である。キューバでは、ソ連邦の崩壊、東欧世界の解体により、それまで格安で手に入っていた食料や石油が入ってこなくなった。そのため、一挙に食糧危機が発生したらしい。
しかし、この危機を都市での農業、それも有機農業を取り入れることで何とか乗り切ってきた。カストロ首相ら幹部の直々の指示により、首都のバハマなどで、公園などの空き地を使って野菜づくりをはじめた。石油も入ってこないので化学肥料も製造できないため、最初は苦労したらしいが、国をあげて有機農業に取り組み、徐々に収穫も上がってきたそうである。
食糧危機を脱しただけでなく、食生活も肉食主体から野菜主体となってバランスも良くなり、国民から太りすぎも減って健康になったという効果もあったようだ。
これらの話は吉田太郎さんの「200万都市が有機野菜で自給できるわけ」や「有機農業が国を変えた」などに書かれている。インターネットなどによる情報が主体なので、少しは割り引いて考える必要もありそうだが、現地調査の結果でもかなりうまく行っているようだ。
成功に秘訣のひとつにミミズ堆肥があるようだが、これはもう少し研究して、別の機会に触れてみたい。
キューバの食料危機も突然に降ってきた話しだが、食料自給率がものすごく低くなっている日本にとっては他人事ではない。何かのきっかけで食糧危機になる恐れは十分にある。現に10年前に冷夏で米が不作であったこともすっかり忘れているではないか。
そのときに備えての都市農業を重視することはとても大切ではないかと思う。私の住む横浜市泉区はまだ農地も多く、養豚場などもあるし、食料の自給自足がかなり可能かと思っていたが、最近は市街化区域内の農地が減っており、難しくなっているようだ。
政治家の中には危機管理を声高に叫ぶ人も増えてきたが、戦争やテロ、災害や犯罪に備えるだけでなく、水や食料に対してこそ危機管理や安全保障が必要ではないのだろうか。(でも地震には備えてくださいね。その際にも水と食料は大切ですから。)
この冬は長ねぎはよかったが、夏に農作業が遅くなったために白菜やキャベツは出来がいまいちだった。ところが来冬用の長ねぎの苗は生育が悪く、去年ダメだったレタスはよい。
いつものことながら思った通りには行かない。農家は気候をにらみながら毎年そこそこの収穫をあげている。農業や農学というのはすごいなと、昔は農業を軽くみていた物理屋はつくづくと思っている。
(昆 文雄)
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「住基ネットにNO!」私たち市民の声を横浜市に届けよう。
住基ネット市民アンケートにご協力を!
昨年8月5日に稼動を始めた住民基本台帳ネットワーク、そして今年8月25日には本格稼動となる。いよいよ電子政府・電子自治体の基盤として作られた巨大システムが回り始める。また第2次サービスの目玉ともいうべき住基カード(ICカード) の配布も各自治体単位で始まり、政府が構想する「住基カードでひらくIT社会」の中に否応でも組み込まれる仕組みができる。この本格稼動は「横浜方式」をとった横浜市でも決して無関係でいられない。参加が前提であり、安全性が確認できるまでの緊急避難措置でしかなく、市長の判断でいつ参加させられてしまうかもしれないという非常に不安定な保障のない選択制だからである。中田市長が片山総務相と合意したとされる「段階的参加」もそれが担保となっている。それでも私たち市民の会は一人でも多くの人が非通知することで緊急避難措置ではなく恒久的権利ヘの道を開くとして「不参加を!」と呼びかけ、最終的に横浜市民350万人中85万人が「住基ネットにNO!」と声を上げる結果を生み出せた。
しかし昨年12月には「住基ネットに係る本人確認情報等の保護に関する条例」を制定、また今年4月10日には市長の諮問機関である保護審議会の第1回会合を開くなど市長が参加を見合わせた5つの懸案事項をクリアする条件が整えられている。さらに稼動の前提条件だった個人情報保護法も今国会で成立の見通しが高い。そうなると全国の離脱している自治体と同様、横浜市も85万人が一気に参加させられてしまう可能性はますます高くなる。このような状況のなか私たちができることは生み出された85万人の意思を市長に尊重させることであり不参加を権利として確保することだと思う。そのために今一度不参加の意思表示の世論を喚起し、市政に反映させるために「住基ネット市民アンケート」を実施することにした。期間は3月1日から5月31日までの3ヶ月間。非通知を選択した市民が今後も接続されたくないという意思を持っていることを数値ではっきりと示すことがアンケートの一番の目的である。
保護審議会が開かれた前日、非通知を申請しなかった262万人分の個人情報を、非通知の85万人についても「職権消除」扱いで送信すると発表された。このことは「段階的参加」の実施であり実質上の離脱状態から1歩進んだことになる。会では約束違反ともいえる非通知者の送信について中田市長、松沢知事への申し入れを行っている。また市長は5月20日付の報道によると「現段階では選択制を見直す考えは全くない。」とあったが、何としてでも8月25日までに全員参加をさせたい総務省のことも考えると油断は許されない。なおさらアンケートを成功させこの結果を持って市長に市民の声を尊重するように要求していきたい。これまで市内一斉街宣行動を3回、街頭行動を2回行ったが、「申し出をしたから大丈夫」と思っている人も多く、昨年の非通知を呼びかけていた時ほどの熱気や関心度が伺えないのが残念である。現在賛同してくださった個人、市民運動グループ、組合など多くの方々の協力で回収は2500人、目標の1万人には届きそうにもないができるだけ多くの声を集め、市長へ迫ると同時にさらなる不参加運動を広げる力にしたい。
全国では離脱を表明する自治体や、訴訟や中止請求、中止を求める請願書名など住基ネットに反対する声は決して弱まってはいない。住基カードに対する取り組みも盛り上がってくると思われる。そもそも住基ネットはこの住基カードなくしては意味のないシステムで、持っていなければ何のサービスも受けられないである。新聞1ページもの情報が入るこのカード、もちろん生まれた時から付けられる11桁の番号も本人確認情報として記録される。診察カード、図書館カード、福祉サービスなどの併用も考えられており、便利だと思っていると次から次へと個人情報が積み重なっていき紛失や漏洩したときの危険性は計りしれない。
私たちを取り巻く数々の悪法たち?有事法制、憲法改正、教育基本法改正、実行行為なき共謀罪の新設、弁護士報酬敗訴者負担制など全て根っこは同じである。ますます監視・管理社会が進み、統合と排除が始まろうとしている。諦めることなくイヤなものはイヤだという声を一人一人があげていくしかない。「悪法も法なり、しかし法律を執行するのが行政の役目。横浜方式は市民の安全を守るためのもの。」と発言する中田市長にお願いしたい。悪法と考えさらに市民を守りたいのであれば住基ネットに参加しないことで離脱しかないと思う。地方分権の時代における首長として「市民選択制の確立」もできるはずである。さらに住基ネットに問題ありといっている松沢新知事の登場、それぞれ私たち市民を裏切ることのないような行政手腕を見せてほしい。私たちも市民アンケートを成功させ自治する力をつけていきたいと思う。
中森圭子(住基ネットに「不参加」を!横浜市民の会)
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スプーンおばさんの ちょっと ひとやすみ No.34 
「二つのお祭り」
六本木ヒルズには匂いがない。無論、香気もない。やせがまんがない。虚栄というほどの陰影もない。たかだか50年前まであった暮らしの痕跡を偲ばせる手触りもない。お店の一覧表を見ると ファッション関係44店中、店名は 42店がローマ字使い、2店がカタカナだが中身は外国製品だ。雑貨、インテリアも同様で、漢字の店名は、和、中華料理店と新生銀行、有隣堂他 ポチポチとあるだけ。もっとも、日本の新しい街は どこでもそうだが。驚いたことに、いくつかのテーマ別に見学ツアーが組んであって、有料で1500円?3500円する。流石、ツアー受付カウンターは閑散としていて、今の街を見るのに拝観料まで 払う気はないようだ。経営者側のやる気と算段が透けて見える。僅か2時間しかいなかったけれど、ここ嫌いじゃない。(ハハハ)私も今の構成員だから、ある脈は通じているのだろう。五月の連休に行ったせいか、ある通りでは係員が、「立ち止まらないで下さい」と声をかけ続けていて、このフレーズは、パンダとモナリザに続いて3回目だ。次々、行き交う人達は、あまり買い物袋をぶら下げていない。くたびれた表情ではなく、存外、生気ある顔付きで、"ともかく来たよ、なんかおもしろいものなーい、お祭りだもの、小さな万博みたいだし"って目をしている。お店は縁日の屋台のようなもの。食べ物屋さんは、時間待ちなどの情報が行き渡っているらしく道の片方の柵にすわって、ハンバーガーなんかかじりながら、人通りを眺めている人もかなりいる。ピクニック気分が似合う街だから、私も空いたところで、パニーニ片手に、メッツォメッツォくらい飲んでもいい。気安く「行ってみない?」といえるところか。
その前日行った 日比谷公会堂の憲法集会は「行ってみない?」とは誘われない。「行く?」だろう。これも2500人の味の違ったお祭りだ。内容的に掘り下げたものはないし、関係者だけが知り得る新しい情報も披露されない。各界といっても、いくつかの市民団体、社民、共産のメンバーが集い、一言でいって団結を確かめ合う会だ。壇上の「・・・しよう!」に 聴衆の「そうだ!」のセットで成り立っている。
話しの中でおもしろかったのは、日本国憲法は、日米共同作業で、英語版のテクストもあり、それによると、「日本国民は」で始まるところは 「We, the Japanese people」だそうだ。前者だと、他者から与えられる言葉のように響くが We?私達となると、私達の持ち物として認識できる。ずっと変わらず、憲法第九条の、被爆、敗戦等からも学んだ戦争の放棄は 人間の叡智を信じた憲法だと評価している。うかつにも 長い間、これは世界で初めて戦争放棄を憲法で成文化されたものと思っていた。しかし昨年、南米コスタリカが軍隊を持たない国であり続けているのを映画「軍隊をすてた国」で知ったし、それ以外スペインのパブロ・カザルスのことを書いた本にも出てきた。1931年王政が崩壊し、スペイン 共和派の立憲議会が、近代憲法を誕生させた。その中で、国の手段としての戦争を放棄、貴族の称号を廃止し、カトリックの宗教特権を禁止した。23歳以上の男女の普通選挙権を確立し、カタルーニヤ地方の自治をうたったが、数年後、フランコ将軍のファシズムに潰されていった。
殆どの国は戦争を放棄していない。つまり人々は、戦うことを是としていることなのか。戦いは必要であり、戦うことの方が容易なのか。私は逃げ出したくなる。どこへ逃げるかって?この宇宙だって150億年か200億年の命、現在50億年でもう1/3は終わっている。いずれは同じことなんだよという世界に。困ったものですが。
角 博子
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米・英のイラク攻撃と日本の私たち
テレビのヘッドラインニュースが、いつのまにかイラク関連からSARS関連のものに代わり、世界中の人々の反対を無視して強行された米・英のイラク攻撃は、もうすでに少しばかり過去のものとなりつつある。一年前に誰もがあれほど注目したアフガニスタンで、現地の人々が今どのように暮しているのか、関心を寄せる人は少ない。それでもアメリカの力による世界支配にNo!を唱える人々は日々増え続けている。世界の人々はやはり、アメリカがこれまで積み重ねてきた愚行・暴挙の数々を忘れることはない。
強大な軍事力・経済力・政治力で、国連さえも無視し、WTOなどの経済・貿易のルールも自国に有利に曲げて、アメリカは今、世界中に敵なしと自信たっぷり。「攻撃は最大の防御」とのたまい、イラクの次はドコ?と世界中を見渡している。自らをテロの脅威の渦中に置いてなお敵作りにいそしむ・・。この愚国に対抗するのに、同じ土俵での力比べは愚の骨頂。国境を超えた人々の連帯こそが唯一、この国に対峙しうる力だ。
「WORLD PEACE NOW 1.18」に参加して7,000人ほどの人の列に加わり、日比谷公園から銀座を歩いたことがもうずっと昔に思える。あの頃は戦争を容認するか否かをめぐって国連安保理で米・英VS仏・独・ロ・中の激しい攻防が展開されていた。自分たちの力で戦争を止められる−そう信じて皆心から「NO WAR!」を叫んで歩いた。それは地域を超え、国境を超え、年齢を超え、経験を超えてテレビの中で、全世界の人たちとひとつになり、誰もがアメリカに対抗出来る自分たちの力を実感した。だから、3月20日、とうとうイラク攻撃が始まった時、人々はむなしさとあきらめに打ちのめされず、希望を持って「NO WAR!」と声を出すために何度でも街へ出た。
「3.20神奈川から反戦」(横浜)で北沢洋子さん(国際問題評論家・日本平和学会会長)は言った。「戦争は始まってしまったけれど、私は落胆していない。この戦争には何の正当性もないのだ。アメリカは唯一の超大国ではない。世界中で一斉に反戦の声を上げた1200万人の市民がもうひとつの超大勢力なのだから、戦争を止めることができる。みなさんが街に出ればそれが実現するのです。街にでましょう。」世界のNGOと連携しながら活躍する北沢さんの力強い声は、私たちに大きな勇気を与えてくれた。現実は私たちの声で攻撃が終ったわけではないけれど、これからの世界のあり様を長期的考える時に、北沢さんのこの時の言葉をしっかり受け止めることが大事だと思う。
開戦10日目、3.30のヨコスカ。私はデモの列の中程にいてマイクを持って道行く人たちにアピールをした。「イラクの市民の上に毎日爆弾を落としている飛行機はこの町を母港にする空母キティホークの艦載機です。この町で暮していたパイロットたちが、厚木飛行場でタッチ&ゴーの訓練を重ねてきた成果を今イラクで示しているのです。空母の母港化、在日米軍基地の意味するところがおわかりになったでしょう」
イラク攻撃を理不尽なこと、許せないことと思ったことが、基地の存在に気づくことに繋がらず、有事法制がいとも簡単に衆議院を通過しても(5.16)無表情。日本の市民は、イラク戦争反対の声をあげながら何を学んだのだろう。もう少し真面目に、もう少し注意深く現実を見て、知って、憤ってみなくては何も変わらない−。
イラク攻撃が始まった日のアメリカ大使館付近は、いつもなら普通に歩くことが出来る道を市民は歩けなかった。そう、そこはまさしく戒厳令下。ふたたびそんな町を見なくていいように、うかうかしていないで、世界の二大勢力の一方になることをめざしませんか。
山中 悦子(脱軍備ネットワーク・キャッチピース)
みなとみらい21からみる戦争
5月5日のこどもの日、わたしたちは、日本基督教団神奈川教区社会委員会基地・自衛隊小委員会の主催する「横浜ノースドック」(瑞穗埠頭)の見学ツアーに参加してきた。参加者は100名余り。神奈川県は沖縄に次ぐ日本で二番目の基地県である。厚木、座間、相模原、横須賀などの基地は、誰にでも知られているが、横浜のど真ん中に基地があるなんて!!!
出発前に開港記念館で沢田政司さん(相模原補給廠監視団)にお話を伺った。横浜港には3つの顔があるという。まずは観光スポットとしての"顔"。山下公園、ランドマークタワー、みなとみらい21、ベイブリッジ、大桟橋、中華街、外国人墓地などの名所が挙げられる。2つ目は、貿易・物流拠点としての"顔"。さまざまな物資の陸揚げ、積み出しが世界的な規模で行われている。そして、3つ目が軍港としての"顔"である。瑞穗埠頭、別名、横浜ノースドック。港ヨコハマの一等地に米軍がデンと専用埠頭を構えている。
私達は、横浜大桟橋から、右手に山下公園を見て、休日を遊ぶ人々やカモメ、氷川丸、遊覧船などに見送られ、フェリーで出発した。少し風があったものの日焼けが気になるくらいに晴れて、フェリーでの港めぐりにはいいお天気である。昔、貿易で栄えた山下埠頭を見ながら、ベイブリッジをくぐると、先に本牧埠頭が見えて来た。コンテナの強大な山と怪獣のようなガントリークレーンが沢山そびえ立っているのを見ることができる。倉庫の壁にAPLと読めるアメリカン・プレジデント・ラインズ社とシーランド・サービス社は米軍御用達ともいえる海運会社である。この2つの会社はコンテナ船で、米軍と契約の上、多くの軍事物資・資材を輸送している。
再びベイブリッジをくぐり、左手にみなとみらい21を遠景にノースドッグの方向に向かう。右手に倉庫群と船が並んでいるのが見えた。埠頭の一番手前に泊まっているのは、フェクティブ(音響測定艦・・・潜水艦などを探知する船であるという)である。その後ろには、昨年8月インド洋から搬送された上陸用舟艇と見える5隻が並んでいた。ここに保管される舟艇は30隻といわれるが、殆どの舟艇は陸上で保管され、一部が海上に係留されている。グアムの基地閉鎖に伴い、ノースドッグに海外支援施設が移駐することが決定し、民間チャーター船が、シンガポール(米海軍西太平洋兵站群)とディエゴガルシア(海軍支援施設)間を往復するという。正面ゲートは東神奈川、仲木戸から5分の距離にあるそうだ。ベトナム戦争中はここから直接、戦地に戦車を運び出し、入り口、村雨橋で戦車を止めた輸送阻止闘争が行われたことが記憶にある方もいると思う。フェリーは一回りした後、右手にみなとみらい21の臨海パークを見ながら進み、海上保安庁の艦船(ミサイル・機関銃・小銃も装備)がずらりと並んでいる新港埠頭を過ぎると大桟橋に戻った。
明日は、横須賀で米軍艦のイラクからの寄港を、喪服で出迎えるという。翌日の新聞にはイラク爆撃をしたキティーホークの乗員たちが船を降り、家族との対面や街に繰り出した様子が報じられていた。
(大木)
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編集後記
12月に父が入院し、4月に息を引き取りました。病院通いと、公開アンケート、葬儀やその後の諸手続でへたばってしまった。母の葬儀は教会でしたが、初めての仏式の葬儀はお金がかかる!!(大木)
たくさんの方からカンパ・切手などをいただきました。ありがとうございます。
大事に使わせていただきたいと思っています。
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