同期6人、熱海の散歩
4月上旬、7人組の恒例の懇親会だが、大阪の一人が欠席し、6人で熱海の某社の宿を借りて、一泊し囲碁や飲酒、昔話などで旧交を温めた。その時、秋は何処かに遠征しようと言うことになったが、奥さんの調子が悪く、離れられない友が出来、9月もまた6人で同じ所に泊まり、彼はその晩の内に帰った。
春と秋、2回、熱海に行ったが、数年前に比べると、かなりの変化で、特にこの秋はそれを感じた。
数年前に、若い市長が当選し、市の財政改革、市制の刷新をモットーとし、観光戦略室を作り、民間人なども公募して、観光に力を入れてきたと言います。
観光客数 1960年代―――530万人/年
2005年――――300万人/年
熱海の人口 1960年代―――54000人台
現在――――――41000人台
と市の勢いは大きく停滞して来ていたのである。
そのような苦労が、今年の夏の石油高騰での旅行の国内回帰で熱海への訪問客が急増したことで報われたと言えよう。
しかし、海岸近くのホテルに泊まって、温泉に入り、宴会をすると言う従来のパターンから抜け出し、町の中を散策したりするには、あまりにも坂の町である。
年寄りには、ケーブルカーみたいなものが欲しくなる。
宿泊した所は、古くからの温泉源の近くの昔ながらの茶室などが残っている大きな庭園のある所で、そこから、下っていくと熱海銀座である。
この近くには、源実朝が詠んだと言う「都より、巽にあたり 出湯あり 名はあづま路の 熱海といふ」と言う歌碑などもある。
宿から見た海岸方面 見下ろすと宿の茶室
(ビルの向こうの山の上に熱海城が)
庭を下ると池の中に茶室が 外に出ると古い温泉家
傍に湯前神社がある 神社入り口の湯口
間欠泉(今は噴かない) ペリーと愛犬の碑
実朝の歌碑
前回は、ここから少し西の方に歩き、起雲閣というところを見た。起雲閣は岩崎家の別荘であったが、1947年から旅館となり、2000年には熱海市の観光設備となった。室内は古い西洋風の面影が良く残っている。
起雲閣入り口 起雲閣(右が庭園)
庭園 熱海銀座通り(11時前で人出は少ない)
皆がよる干物屋(沢山ある)
(那珂湊お魚市場の価格3倍以上!!)
ホテル外を見る(背の低い香港と言った感じーー綺麗になった!!)
ご存知2代目お宮の松
飯を食った店(11時半前だと言うのに並んでいる)
銀座通りを下って、着いた辺りがヨットハーバーで、海岸を東に、海水浴場、温泉ホテルの林立するのを見ながら海岸の遊歩道を行くと海水浴場、お宮の松のところにつく。
戻って、飯を食おうと雑誌に出ていると言う小さな中華屋に行ったが11時半開店だが11時過ぎにはもう人が並んでいた。
同じ道を過ぎて熱海駅に向かうと、昼からは人出がかなり多い。13時の快速で東京に戻る。
「私のHPの最大の欠点」
それは食い物の事。何を食ってもうまく感じ、味わうと言うのが苦手。誰よりも早く食ってしまう。今回も、行きに寄った蕎麦屋、宿の食事、昼のラーメンなど食う人が食えば、これはうまいと言うことになるのだろうがーーーー
その内、食い物に関しては、友人に記事を書いてもらおうと思っています。