七人の1000円旅行

 確か大学2年か3年の一学期の試験が終わって、しばらくした時のことである。

入学時に知り合い、気があった7人の仲間たちと、試験終了の開放感から、麻雀も十分にやり、M君の下宿での洗面器で安い肉と野菜を煮て、2級酒でやるすき焼き忘年会までは、まだ間がある時であった。

 西荻窪の駅前で、3皿100円の安い焼きそばに舌がしびれるほどラー油をかけて食い、明日の朝のトイレは大変だななどといいつつ、7人組が、M君の下宿に集まった。

 何か、面白いことをやろうと誰かが言い出し、それでは、旅行をしようと提案した。
ただし、皆、金が無い。

そこで、学割と1000円を持って、上野駅に集まろうと言うことになった。当時、奨学金が月2000円、家庭教師が月3000円の時代である。1000円は大きいのだ。

 1000円で行ける距離と言えば、上野ー平(常磐線)、平ー郡山(磐越東線)、郡山ー新潟(磐越西線、信越本線)新潟ー柏崎(越後線)柏崎ー上野(信越本線、上越線、高崎線)と言う周遊コースである。それでも、学割を使えば、150円位おつりが来る。当然、すべて鈍行、旅館などには泊まれない。

 朝、一番の上野発の汽車(当然鈍行)で平駅に向かう。上野―平間は、3時間以上かかる。郡山では、昼過ぎになるが、昼飯は、誰かが下宿に頼んで握り飯を作ってもらった。
 猪苗代湖を横目に見て、紅葉の磐越線を乗るのは、なかなか楽しい。皆で、雑談をしながら、乗っていると時間はすぐに過ぎていく。

そして、新潟駅に着いた時には、秋の日は暮れてしまっていた。万代橋を歩いて渡り、ラーメン(当時35円)など食ったが、まだ、時間はある。残った金で、銭湯に入っても朝飯位は食えそうである。
そこで、町の中を歩き回り、銭湯を見つけて垢を落とした。

 それでも、駅に戻ったら、まだ、12時前である。ともかく、今夜は、新潟駅で寝ないといけない。

駅の待合室で話などしていると、12時過ぎに終列車が通り過ぎた。
すると、駅員が来て、待合室を閉めるという。上野駅など、まだ、ルンペン(今流に言えばホームレス)が居て、駅で寝泊りしていたので、我々も駅に居られると思ったのが大間違いで追い出されてしまった。

 秋も深まって、新潟の夜は外では、さすがに寒くなってくる。
仕方が無い、駅前の階段のところで野宿だと言うことになった。

これも面白いことだなどと高校時代、「歩く会」で70km以上も徹夜で歩かされ、途中で正体も無く眠った経験のある小生などは思ったが、良家の出であるH君などは、そうは行かない。
「おれ、金を持ってきているから、どこか旅館に泊まろうよ」などと言い出した。

しかし、他の連中は、せっかく、1000円と決めたのだからここで寝るといい、新聞紙などを敷いて、朝までを過ごした。当然、ろくに眠っていない。

 翌日、一番列車で柏崎まで行き、ここで下りて、日本海の海岸まで歩いた。この時期の日本海は、まだ、冬季雷の来る前で、穏やかな海であった。

 再び、列車に乗り、上野まで帰ったのであるが、柏崎から先の記憶は無い。おそらく、皆、疲れて寝てしまったのであろう。(調べてみたら、送行程850kmでした)

           

            新橋のSL(当時は何処でも見られたがーー)

 この経験も含め、房総、紀伊、静岡など折りに触れ、貧乏旅行をしたものである。
そして、麻雀をした後も、旅行中も、皆で、良く未来と人生を語り合ったものである。

最近は、7人組で、また旅行をすることも多くなった。

温泉に入り、旅館に泊まる。昔と違い物質的に恵まれ酒を飲んで至福の時を過ごす。

しかし、話すことと言えば、健康のこと、自分達の過ごしてきた人生のことなどが中心で、未来を語ることがなくなったのはさびしいことである。