トイレット

 我が家は、全室和室、トイレは和風であったが、ウオシュレットと言うやつに改造した。和風と違い、新聞を読んでいても、足が疲れない。

                  

         足腰も 鍛えず色も 見えずして 狭いながらも 楽しいトイレ

問題は、人が座った便座に自分も尻をつけるということである。こんな「お尻あい」はいやということで、和風で通してきたのだが、年には勝てない。

座って、新聞を読みながら、子供の頃は新聞や古雑誌を使ったことを思い出した。

そして、それ以前は、蕗の葉やごぼうの葉を使っていたとか、わらを束ねておいて、これを何本か抜いて使ったとか、チョウギといって、木のへらを使ったとか、ひいおばあさんから、子供の頃聞いた記憶がある。

インドの合弁先の工場では、水の入ったつぼが置いてあり、水で洗っていた。

ソ連では、ごわごわの包装用のクレープ紙のような紙が置いてあり、これで拭いたら、痔がひどくなって、同伴者に頼んで、ティシュを分けてもらったという話も聞いた。
中国では、文革の直後でも、紙質は良かった。

そもそも、人類が、「拭く」という行為をし始めたのは、いつの頃からだろうか?

どうやらこれは、人間が二足歩行をするようになったことに起因するといわれている。
二足歩行のためには、臀部の筋肉が発達し、肛門は、股の間に隠れてしまった。

四足動物では、尻の肉が薄く、糞をする時に、直腸の先端が、はみ出し、終わると中に入るために、肛門の周辺は汚れないのだそうだ。

 同じ、二足動物でも、鳥類は、「飛ぶ」という機能上の要求から、糞を貯めない。いつか、鵜が岩に止まっているのを見ていた時、突然、つばを吐くような勢いで、糞をしたのには、びっくりした。

 しかし、我々は、だんだんと軟らかいものを食べるようになり、ますます、切れが悪くなった。ウオシュレットというのは、日本人の偉大なる発明である。

「早飯、早糞、武士のたしなみ」といったのは、昔のことで、そんなことはつつしみがない、などというが、よく考えれば、早飯とは、歯が丈夫なこと、早糞とは、胃腸が健康で、繊維質や、小魚など硬いものを食べて、便通が良いということである。

 民族によって、文化によって、「拭く」という行為が様々であり、トイレも様々である。

このことは、スヂュアート ヘンリという人類学者のはばかりながらトイレと文化考」(1996年文春文庫)に詳しい。

 このように、快適なトイレ生活を享受しているが、資源の無駄使いという点では、極めて問題であろう。

仮に、ウオシュレット方式が、日本中に普及したとし、一日一回、大小取り混ぜ、1リットル(約1.3kg)の排出物と、2リットルの洗浄水を使ったとする。

1億2千万人で(1.3+2.0=3.3kg)×120、000k人=396、000トン 

即ち、約40万トンの排出物を毎日、流すことになる。

 江戸時代までは、拭くものは、燃すか腐らせて、自然に戻し、出したものは、肥料として循環していたのである。

今の生活が、本当に良いのか、トイレの中で水で流しながら、考えるのである。