ポーランドのA、B、C

        1970年代の中頃のことである

 ポーランドの空港に着くと、いつもの古めかしいベンツに乗ったタクシー(?)の運転手を見つけ、1$渡して、グランドホテルに向かう。この運転手は、1$で大抵の所へ行ってくれる。

この国は、$万能で、空港の通関で、まず、1日あたり何十ドルかの交換をして、証明書をもらう必要がある。然るに、この交換レートは、高すぎるので、当然、闇で金を代える必要がある。何しろ、公式レートの5分の1以下で換えられるのである。

しかし、この運転手は、捕まると免許停止であるから、危ないことに手は出さない。

一応、日本で、調べてきてはいるが、「今、幾ら位?」と確認する。

街中で「チェンジ、マネー?」と寄って来る男に引っかかると、これが公安警察だったりすることもあるということで、やめた方が良い。

 ということで、安全な方法の第一は、ホテルの食堂で飯を食って、100$札などをちらつかせ、お釣りは幾らだ?と聞くと、レシートの片隅に、レートを書いてくる。しばし、交渉し、妥当な所で、お釣りを現地貨でもらう。

 第二は、夜な夜な現れるその方面の女性である。

最初に、ポーランドに行った時には、翌朝、食事を8時過ぎにしようと打合せて、ベッドにはいった。そして、ぐっすり眠っていると、ドアをがんがんとたたく音がする。

寝とぼけて、枕もとにおいた時計を見ると、8時10分すぎではないか!「これは、寝過ごした、申し訳ない」とドアをあけると、コートを着た女が立っている。

「何だこれは!」と思う間も無く、コートの前をパッと開くと、下は、何もなし。「どお?」と言うのであるが、どうにも食欲がわかぬのでお引取り頂いた。

時間は?と見れば、2時過ぎである。何のことはない、時差ぼけで、寝とぼけて時計を逆さに見たのであった。

                       

                「2時40分 寝ぼけてみると 8時10分」

 後で聞いたのであるが、この手の女性は、ホテルに手をまわしていて、外国人、特に日本人が宿泊したとなると、必ず、洗礼を受けるのである。
技術提携が成立した後、行った上司も同じような洗礼を受け、「ノー、プロブレム」を連発され参ったというが、その後はどうしたのかは礼儀上聞かなかった。

 ここで、すべてを済ませると、誠に手軽ではあるが、相手はさほどでもない。

そこで、商社の人間などが、接待するのが、このA,B,Cである。

即ち、アドリア,ブリストール、コングレッソーバと言う店である。この国では、20代の前半までは、色が白いだけでなく、スタイルも極めてよい女性が多い。
 なんと言っても、日本は、あのにっくきロシアをやっつけた国である上、しつこくなくて、金払いが良いということで、誠に評判がよろしい。

何回か出張している内に、ある時、商社の連中が憤慨して言うには「日本から、代議士が来て、彼女らの接待に感激して、うん百ドル払ったので、その後、日本人と分かると、高く吹っかけられるようになって困る」との事であった。

                       

              文化科学宮殿(にっくきスターリンが立てた

ポーランド人曰く、「ここから見たワルシャワが一番素晴しいそれはこの建物が見えないから!」