名古屋の思い出

7:名古屋市立博物館

 名古屋市立博物館は、マンションからはかなりの距離で、自転車で行くには、少し遠いが、バスに乗ると一本で行ける。

時々、何か展示会などがあるときに訪れた。常設展示は、何処も同じように、その地方の石器時代以来の歴史である。

当時、天候不順で米の凶作があり、台所の考古学というのをやっていたので、その時感じことを纏めていたので、それを書いてみる。

中部地方の内陸部は、険しい山岳と急流で縄文時代からの生活の知恵が今日でも生かされているのである。

 

 台所の考古学――H16−2

 先日、名古屋市立博物館で、「台所の考古学」という特別展を見た。

石器時代以来の日本の食物採集や栽培の技術、道具、調理や保存の技術、道具、食器や台所からトイレまでの構造などを纏めて展示したものである。

 日本列島は、海に囲まれ、気候も温暖で、「海の幸」「山の幸」に恵まれてきた。

世界の採集中心時代における単位面積当りの人口担体率は、日本の縄文時代が一番大きかったともいわれている。

私、自身、歴史に興味を持ち、色々なことに興味をもってきたが、考古学の世界は、形として残っていないものが多く、それを推定、想像する事を楽しんでいる。

 民族の興亡と言ったことも、結局は、食料に依存している。民族が発展していく段階

では、十分な食料が確保されているから発展したのである。

よく、戦乱で世の中が乱れ、人口が減ってしまったなどというが、実際には、寒冷化などで食糧生産が減り、社会が不安定になって戦乱が起こるというのが正しいのだろう。

江戸時代まで、飢饉が天候不順によって発生し、社会不安をもたらしてきた。近代になっても人口の急増と第一次大戦後の不況や東北の不作は、海外への移民を生み出している。

 いま、我々は、不景気とはいえ、安定した生活をしている。江戸時代であれば、大飢饉になったと思われる米の不作も備蓄によってカバーされている。

しかし、もし、これが三年続いたらどうなるであろうか?

マリーアントワネットではないが、「パンが食べられないのならお菓子を食べればいいのに」などと言って済まされるだろうか。

食料の増減は、新しい技術(土器とか鉄器)、新しい作物(さつま芋、とうもろこしなど)の他に、地球の平均気温の変化による所が大きかったのである。

地球の東西に、世界の四大文明が起こったのも、漢とローマが栄えたのも、地球の気温の変化によるものである。

社会が崩壊していくのは、食料の不足と病気が主な原因と言われている。

牛丼も、親子丼も、鯉こくも、そのうち、豚汁も皆、駄目になりかねない。

 日本は、70%近い食料を輸入に頼っており、金があるから買うことも出来るのである。

皆さん、数十年後の日本を想像して見て下さい。

人口は、1億人位に減っています。食料の輸入も、これに比例して減るでしょうが、高齢者の比率は大幅に上がり、限界部落ならぬ限界国家のなっているかもしれません。

そんな中で、輸出を今までのように確保できるでしょうか?

経済は、売り買いのバランスで成り立っています。このままでは日本国内の経済規模は縮小していくことになるでしょう。

 そんな中での気候変動もあり、インフラが古くなっていくのです。どうなるか、国家100年の計を今考えねばならないでしょう。