億劫

 最近、体力の現象とともに、色々なことをするのが億劫になり、でれんとして日常を送ることが多くなった。

でも。「億劫」とはなんだろうか?おそらく、佛教語とは思ってはいたが、調べた事は無かった。

そこで、ネットの語源由来辞典なるもので調べてみると、やはり仏教から来た言葉で、「劫」とは、無限に近い時間の長さと言う。それは天女が高い岩山に100年に一度降りてきて羽衣で頂きをさすり、それで山が無くなるまでの時間だとか。

それの億倍と言うのだから、言いようがない。

こんなに長いと計り知れない、面倒だと言う事から、「面倒くさい」と言う意味に使われるようになったと言う。

 分ったような分らない話である。第一、「面倒」ってなんのか??

これまた、調べてみた。

いわく、わずらわしいという意味の「面倒」と言う言葉に、強調や「――らしい」と言う意味の「臭い」を付け足したものと、これまたわかったよう分らない話。

 「面倒」の語源は。「めでる」などの感謝の意味からきたとか、それが「恥ずかしい」「決まりが悪い」「見苦しい」とかいう感情面が強調されたのだという。

人の世話をするなどは厄介なことが多いので、「面倒を見る」と言う言葉になったとか。

これまた、良く分からない。「厄介」とは何なのか?

これまた、調べてみた。

 「厄介」とは、漢語の「厄会」のから来て災いのめぐり合わせという説、「やかい(家居)」などが転じたという説があるという。居候などを指す言葉とも言われ(厄介者)、これらの面倒を見るということから、面倒をかけるという意味になったとも書いてあるが、結論は語源不明とある。

 結局、これ以上は面倒になり調べるのはやめた。

むかし、分らない言葉を辞書で引いていくと何回かすると元の言葉に戻ったことを思い出した。

 人がどのような表現をしているかを聞いても、それが自分が感じた通りかどうか、よくよく注意せねばなるまい。