佐倉(その1)
佐倉城此
義姉は、佐倉のゆうゆうの里に住んでいて、周辺の景色を絵に描いたり、写真を送ってきてくれます。
また、町に関する資料も送ってきてくれていますので、今回は、その中の佐倉城此について、紹介します。
佐倉の町
佐倉と言えば、我々の年代は「佐倉惣五郎」を思い出します。
佐倉城は、徳川家康が江戸の防衛線の拠点のひとつとして、土井利勝に築城させたものです。
ここは代々、譜代大名が統治をしてきました。色々と金もかかったのでしょう。
堀田正信の時に、佐倉惣五郎が窮民の為に義挙したと言う話が「佐倉惣五郎」の芝居の元になっています。
正信は、幕法に反したとして改易になっています。(1651)
以後、大名家がいくつか変わりますが、1746年に山形からきた堀田家となり明治維新まで続いてきました。
城は明治維新で解体され、陸軍の駐屯所がおかれ、国立佐倉病院、国立歴史民族博物館などが作られましたが本丸周辺はそのまま残っています。
石材の入手が困難な地方の為、土造りの掘割となっているとのことです。
航空写真で見ると、城の周りは保存状態も良好です。
佐倉城址(左側が本丸跡)
(これらの資料は、佐倉商工会議所のパンフレットによりました)
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