団地を歩いていると、に会う。人の顔を胡散臭げにじっと見て、近付くと逃げてしまう。

都会のは皆そんな感じである。

 しかし、田舎のは違った。じっと人の顔は見るが、なんとなく人懐こい表情で、近付いても逃げることは無く、なぜても嬉しそうにしている。

全国をドライブすると、各地でに会う。四万十川途中の商店、高知や佐賀の神社、紀伊の根来寺象潟の蚶満寺の門の辺りなど、様々な所でに出会った。

 皆、陽だまりなどで気持ちよさそうにしていたものである。



蚶満寺の猫

最近では、猫の駅長などと言うのも居るようである。

猫の駅長

 自分が育った田舎の家では、大体、2匹のを飼っていた。それも皆雌猫である。

と言うのも、精米所をやっていて、鼠が増えないようにということが、第一の役目。

鶏の雛を鼬が襲わないようにと言うのが第二の役目である。

子猫の時に、雛を取ったりしないように、雛を連れている雌鳥の所に連れて行って、頭をつつかせる。これを数回やると覚える。

鼠を取るのがお役目であると言うことを良く心得ていて、捕まえると咥えてきてみなに見せる。そしてほめると、しばし、遊んではらわたの一部を残して食べてしまう。

妹達も皆で可愛がっていたもので、寒い夜などは、寝床の中に頭を突っ込んできて、一緒に寝ようとする。暖かいので奪い合いになる。

 年に一度は4匹ほどの子供を生むが、生む前になると、ニャーニャーと鳴いて騒ぐので、納戸にみかん箱などを置いてぼろきれを敷いてそこで出産させる。

あるなどは、夜になると子供を咥えて寝床に運んできたりした。

 子供が大きくなってくると、取ってきた鼠をすこし弱らせて、子供に与え、逃げるのを追い掛け回させたりしている。

段々と大きくなるとじゃれまわって襖の縁で爪をとぎ、障子に穴を開け、暴れ廻っている。そして、何時もある大きさになると、皆もらわれていった。

「水車」(屋号)のはよく鼠を取るという評判であったのである。

 昔の家は開放的であったから、が自由に出入りできる。年の下に入り、家の中の土間の上がり框の隅の方の板にすこし穴を開けておく。障子は、一箇所張らないで置く。

襖は?と言うと、ふちに両前足をかけて自分で開けるのである。

 取るものは、鼠だけではない。ある時、大きななまずを取ってきて蚊帳の上においてあったのには驚いた。

 とはいえ、年を立ってくると段々と横着になり、冬など昼は日向で、夜は囲炉裏の縁で、そして人の寝床へと来て寝て過ごすようになる。段々とねずみも取らなくなってくる。二匹、必要な所以でもある。

 大学に入った頃、小生によくなついた年取ったが居た。あまり、鼠を取らなくなったらしい。

しかし、冬休みに帰って、そんな話しを聞いていた夜中に、ニャーニャーと枕元とで鳴く。何かと思ったら、鼠を取って見せに来たのである。なんともけなげな奴であった。

今、都会でを飼うのは大変だろう。子供の時は可愛がって大きくなったら手に負えなくなる。密閉された家屋は、を飼うのには適していない。

大きくなると捨て、それが野良猫になるが、なんとなく可愛いのもいて餌をやったりして、なついてくると何匹もやってきて、近所との騒動になったりする。

将棋の加藤一二三さんなど、どういうつもりか、訴訟問題にまでなっている。やはりは自由に出歩ける田舎でかうべき物なのだろうか。