コンクリートから人へ

 家から歩いて15分もかからない6号国道の傍に、生コンの会社があった。

以前は多くのコンクリートミキサー車が出入りして、生コンを工事現場に運んでいたが、公共事業投資なども少なくなって、ついに、閉鎖された。

そして数年後、その跡地は、大きなスーパーとして生まれ変わった。

 ここは、ドラッグストアーも併設されており、日常生活に必要なものは大抵間に合う。便利であり、大勢の客もきて、周辺が混雑し、交通信号まで出来た。

しかし、それは、車で来られる人にとってである。高齢化が進む日立市、特に山の上の団地などでは、出てくるのが大変であろう。

 最近、市内で新しく出来るのは、スーパーやパチンコ屋などであり、工業都市である日立市に新しい工場などは出来ず、むしろ整理統合される方向である。

「コンクリートから人へ」などと言っているが、すでにそうなっているのである。

しかし、この標語は、間違ってはいない。高度成長期にはコンクリートは有効に使われていた。それを使ったあらゆるインフラが出来上がった後で有効に使われていたのである。

投資コストと効果が見合っていた。とは言え、日本橋が首都高の下に隠れたように、あらゆる所でバランスが取れたわけでもない。

 しかし、高度成長の後辺りから、投資効果が良く分からないものに、理屈をつけて金を使うことが多くなってきた。空港簡保の宿なども良い例である。

立派な県庁を造り、市役所を作る。戦国から徳川時代の初めには、支配を明確にする為に城を作った。ここが支配の中心であることを示す為に。明治時代の県庁なども城の後継といえる。

しかし、東京都庁、文京区役所、茨城県庁など、政治の為に本当に一番効率が良いのか?

 今までは、人口が増えてきた。したがって手狭になっていくと言う問題があった。

しかし、これからは、人口減少であり、このようなことは起こらない。

したがって、大抵の箱物はこれ以上必要ないだろう。こうなると、問題は、耐用年数である。

費用対効果は、耐用年数が長ければ回収できるかもしれない。しかし、コンクリートの耐用年数は?と言うとそんなに長くはない。

何十年か先に、全てのインフラが老朽化し、それを補修する金が無くなってしまったらどうなるのか?

 他方、「人へ」と言うのも問題である。これも費用対効果の算定が難しいだろう。

大金をかけて教育すれば、有名校に入れる。しかし、どんなに金を使っても全員が入れるわけではない。能力には明らかに差がある。

しかも、親が問題である。子供為に金をばら撒いても使うのは親である。金がなくて困っている人に金を出して教育すると言うのであれば、親元から離して教育を受けさせるなどの対策が必要ではないか?

こうすれば、親が金持ちであろうが無かろうが関係なくなるだろう。

しかし、それでは、人間としての多様性が失われるだろう。

結局、コンクリートにとっては政治、人にとっては親、それぞれの見識が重要であろう。