ロペスさんの話    

 ある日、フィリピンから変圧器の技術提携をしたいと言う話がもちこまれた。

そこは、以前に別工場が小型変圧器の技術提携をしており、それより少し大容量の領域についての話である。

 その変圧器会社のオーナーであるロペス氏が日本にくるが、時間も無いので、夜、銀座で飯を食うので出てくれと言う。話の中身もそれ以上は良く分からない。

当時、変圧器はABB(ASEA)が盛んにアジア進出を狙い、当社の技術提携先であるインドの会社や、台湾、中国などに触手を伸ばしていた。

こちらとしては、アジアは当社の技術で席巻すると言うことで、インドにもてこ入れし、台湾、中国、韓国と技術提携を進めつつあり、フィリピンもやってやろうではないかと

話を聞くこととした。

商社の招待で、本社の人間と一緒に飯を食うのであるが、どうせ、ろくな土産も用意してないだろうと思い、何が良いかと考えた。

フィリピンと言えば、戦争中、日本軍はかなり悪いこともしており、そんな中で、日本と技術提携をしようというのであるから、親日派でないにしても知日派ではないかと

思われる。

そこで、日本舞踊に使う扇がよいだろうと考え、これを送ることにし、探したのであるが、日立には、良いものがない。

何とかしようと言うことで、東京まで出張させて三越で、歌舞伎で使うと言ううん万円の扇を準備した。

 出かけていって、飯を食いながら色々と話をしたが、なかなかな紳士である。

すっかりいい気持ちになって、銀座から自宅まで、どのくらいで帰れるかと運転手と試してみようと言うことになり、高速が空いていたので、約一時間で帰ってきた。

これは、今までの記録であろう。

 さて、変圧器の技術提携の話は、先方の工場も訪問し、小型器の交流もあって、順調に進んだ。



後で分かったことであるが、ロペスさんは、フィリピンでも、屈指の財閥で、

マニラ電力など多くの会社の実質的オーナーでもあった。


そして、美術品の収集家でもあり、立派な美術館を持っている。

さらに、自宅に、日本庭園などを造り、日本の文化にも造詣の深い人である。
 その後、何回か訪問したが、忙しい人であるにもかかわらず、必ず、時間を

割いて会ってくれた。


これもまた、一本の扇から始まり、東海道五十三次の版画の複製とかの縁で

あったのであろう。



 しかし、フィリピンの一般民衆の対日感情は、太平洋戦争の記憶から、良いとは言えない。むしろ悪いと言ったほうが良いであろう。

それは、フィリピンのみならず、中国やたいていの東南アジアの国々で言えることである。若い人達を海外に出す時に、いつも言っていたことは、そのような対日感情を頭において行動してくれと言うことであった。

戦後の日本の復興に対して、それなりに敬意を表してくれているかもしれないが、それは必ずしも日本人そのものについてではない。

 本当に日本人が敬意をもたれるためには、まず、自ら日本の歴史を良く知ることである。そして、相手の歴史も知ることである。

豊臣秀吉や東条英機といった名前に代表される侵略者と言うイメージが作られすぎている。

今の中国人に言わせれば、元は蒙古民族、清は満州民族であると言うかもしれないが、フビライや康煕帝などの時代は、中国の中でもっとも繁栄した時代である。

そもそも、中国は、外国民族が侵入してきて領土を拡大し、それが滅びるとちゃっかりとその部分を中国の版図に加えて来たのである。

 そもそも、大国とは、最初から大国であったのではない。領土を拡大したから大国なのである。日本でも、蝦夷地や沖縄を取り込んで大きくなってきたのである。

 しかし、文化とは、民族の持つ想像力と創造力であり、平和が続かなければ発展しない。日本の文化は、江戸時代という長い平和の時代があったから発展したのである。

外国人と話をする機会があったら、もっとも差し障りのないのが江戸時代である。

江戸の文化については、最近は随分と見直され、色々な本も出ているので、ぜひとも学んでほしいと思うものである。