親方

 生物の親と子の関係は、親は子が成長するまでは保護し、教育して自立できるようにすることが基本であった。

これにより、種というものが保たれ、継続してきたのである。しかし、子が成長した後、親と共存できないような厳しい環境では、子孫を残すためには、子が親を排除するということも行われてきた。

もし、環境がよければ、親子が共存し子孫が増え、その種は栄えるということになる。

 人間の場合、親が子に教えるだけでは、不十分である。それだけ成長には、時間と教育が必要である。それが行われないと、人間同士の競争に勝てないことになる。

 しかし、親子のきずなというように、そこには信頼関係が必要である。

日本では、江戸時代という伝統的な社会の中で、このような関係が色々な形で作られてきた。それを表す言葉もまた多い。

「主」「師匠」「親分」「親方」などなど、色々ある。「主」と言えば、武家の身分構成で理屈抜きで絶対的な関係でもある。

「親分」というと、武士の世界の階級と同じような意味をもっている。武士でない社会の主従関係を表すといってよい。
やくざの「親分」などがいい例で、「子分」は絶対服従を強いられる。

「師匠」というとどちらかといえば、先生と生徒的な意味合いが強く、何かの技術を教える人といった意味合いが強い。そこに、親しみの感情があれば「お師匠さん」ということになる。

「親方」はどうであろうか?大工の親方、相撲の親方など、「師弟」や「親分子分」などとは違って、「親子」に最も近い関係と言って良いと思われる。

親方弟子、そこには、権力、服従といった関係とは違うものがあるように思われる。

辞書には「親の代わりに人の世話をする人」とある。「親方日の丸」と言う言葉もある。お日様のように有難い存在という意味なのか、恵みを与えてくれるという意味なのか、敬っておけばよいという意味なのか?

 しかし、社会が流動化し、生存競争が激しくなると、このような関係は失われていく。

日本人同士でも、そうなのであるから、外国人ともなればこのような関係を保つのは難しいであろう。

相撲という伝統的な社会で起こった朝青龍騒動がその良い例であろう。

これが野球なら、即、退団で終りとなる。相撲界の「親方」と言う考え方が相手に通じると思ってやったことがこれだけの騒動になった。

そしてこれは長い間に甘えの体質となり、弟子をいじめ殺したりなどの事件も発生し、弟子同士では、暴力団相手の野球賭博、
親方同士では、事件の隠蔽など、馴れ合いの世界を招いたのであろう。

それもこれも、相撲界以外にあった親方と弟子という関係がなくなり、ここだけが残っていたために、周りと比較し、自浄するということがなくなったためだろうか?

これからの社会では「師弟」「親分子分」の関係は生き残っても「親方、弟子」の関係は生き残れないのであろうか。