筋力などの時系列的劣化(2)

10月までの経緯を先に書いたが、その後の変化を書いてみよう。第二段階は、今年の3月位までとする。

この先は、第三段階で、いよいよ食事なども含めより色々な対応が必要になる時期である。

これは、10月から、3月までの変化である程度予測できたが、予測できるだけに面白くない。

4月以降の変化については、別途、まとめていきたい。

 

12月の中旬に咽喉の具合がすこしおかしくなって、正月のおせち料理などが食べにくかなりのものが食べにくくなった。

今までどおりに口に入れる。昔なら数回噛んで飲み込めたのが飲み込めない。細かく噛み砕こうと噛んでいると、おいしい汁気は飲み込んでしまい、繊維状の粕が残る。

すきっぱであるから、これが歯に挟まる。無理に飲み込む気もlしないが吐き出すのも失礼と液体と一緒に飲み込む。まだ、飲み込めた。

 しゃべるのが、今まで以上に呂律が廻らないが、きちんとした姿勢でしゃべれば、それなりの声が出て、友人なども、今までと大差ないという。しかし、体重が64.5kg位まですこし急に落ちた。

 更に、1月中旬になると、もう一段と咽喉がおかしくなった。それでも、きちんとした姿勢なら、しゃべったことを聞き取ってもらうのにあまり苦労は無かったが、1月下旬になると、しゃべりにくく、また聞き取りにくくなった。痰が絡んだような声になり、発声が明確でない。

ご飯の飲み込みも悪くなって、ついにお粥とした。2月になるとおかずも、ものによっては食べにくいものが増えてきた。

 2月に入ると体重が更に落ちて、ついに、夕食後に測っても64kgぎりぎりになっている。

首の筋肉の劣化などもあり、歩くと首から腰が痛くなる。2000歩くらいで休めば、更に歩けるが、一気に3000歩台まであるくのはきつくなってきた。

 1月26日に、神経内科と話しをすると、3月に医師が二人やめるので、6月位まで十分な面倒は見られないといい、その前にBIPAP(マスク式の呼吸器)の練習をしようという。2月15日から19日位までと言うことでやることにする。

これをやって、一日早く退院したが、体重は、64.5kgを切り、63.9kgなどと言うことも出てきた。

 ここで、胃ろう(PEG)も早くやったらよいという。帰ってかかり付けのE医師にも聞いたが、やはりたいした手術でもなく、運動もあまり支障ないので、やったらいいでしょうというので、神経内科から紹介状をもらって日立港病院に行き、3/12日手術と言うことを決めた。

 その前に、行きそびれていた沖縄に行くこととし、/28の誕生日をはさんでいくことを決定。

BIPAPやPEGについては、別途、書くものとして、ここでは、ここにいたる10月から2月までの変化を図に示す。

 PEGで絶食して点滴ですごしたこともあり体重は一気に62.5kgくらいまで落ちた。この変化で進んだ時、6月前後がまた一つの節目となろう。