沖縄紀行(4)

 何時ものように、6時過ぎに起きて、食事に行く。今日の予定は10時ごろ出発としていたが、石林山公園と言うのが。辺古近くにあるというので、そこにも寄ろうと、早く出発することにした。

 食事の後、自分は、コテージに戻らず、海岸に出てみる。沖縄の海は素晴しい。

  

リゾートフロントの入り口  海側の浴場、プール設備

海岸の風景


海岸の砂には珊瑚の破片と貝殻が沢山ある。

しばし、ビーチパラソルの横の椅子に寝そべって海の風と風景を楽しむ。


波打ち際の珊瑚などの破片                       拾った珊瑚と貝殻

8時半近くに、出発し北上して辺古岬方面に向かう。ここは、北海道などと同じく、旧道が曲がりくねって別にあるところが多く、新道は平坦で走りやすくなっている。

 

茅打ちバンタから石林山公園

 

途中、旧道茅打ちバンタという公園がありそこに立ち寄る。ここからの海の眺めも中々素晴しい。野生のパパイアなどが実をつけている。公園には、つつじや朝顔が咲いていた。

    

旧道からバンタヘ

  

    園地から見た新道と漁港                           園地の崖の上で

ここから、すこし進むと、石林山公園の看板があり、横道に入ると公園に着いた。

この辺りは数億年前の石灰岩が露出してできた、カルスト台地、ピナクルと言って石灰岩がやりのような形で露出した奇岩があるという。7年ほど前に公園は出来たという。

 入口まではマイクロバスでの送迎をしてくれるので、見物に行く。

    

公園の植物(野生のパパイアなど)

公園にて

  

  

さまざまな奇岩

  

神話や伝説

なるほど、色々な奇岩がある。足もやわって居るので一番平らなバリアフリーコースなるものを廻った。大きな山の少ない沖縄にしては、珍しい場所である。

ここには、一種の天孫降臨の神話があり、久高島ニライカナイという海から来る神のもたらす恩恵についての神話の中心とすれば、こちらは天の神アマミクに最も近いところとして崇拝された所。

展望台より辺戸岬を望む(娘が行った)

 

辺古岬から帰路へ

 

 石林山公園をたって、辺古岬はすぐであり、当初の予定時間位についた。ここからは天気が説ければ鹿児島まで見えるというが、すこし雲がかかっていて見えない。

  

辺古岬

   

岬から九州方面を見る                  祖国復帰闘争碑

大きな記念碑みたいなものlがあるが、沖縄返還闘争、今後もまたーーと言う感じの宣言が書いてある。

沖縄人の思いを垣間見た。

ここからは、東海岸を南下していくが、米軍の射撃場となっているところなどが多い。

とは言ってもあまり使っているということではないらしく、殆どが原生林兎に角道路の横までが基地で立ち入り禁止である。

    ヤンバルクイナの警告              刈り取ったサトウキビ畑とパイナップル畑

このような環境だから、逆に、ヤンバルクイナも多いのであろう。

基地でないところの農家は、サトウキビパイナップルを作っている。この辺は東村でパイナップルが名産となっている。

 二見と言う所まで南下し、そこから、宣野座ICに行き、沖縄道を南下する予定であったが、すこし早いので、西海岸の方に進み、読谷村にでた。

ここには、もう一つの世界遺産の座喜味城跡があったのだが、脇道に入っていかねばならず、時間的に不安だったので通り過ぎてしまった。

後から考えると、立ち寄る時間は十分であった。こちらを通るということは考えていなかったので調査不足である。

 更に進むと、華手納基地、キャンプ瑞慶覧、普天間基地、キャンプキンサー、米軍基地が続く。これだけ基地があっては大変だろう。

   

基地の連続

この辺りは車線数も多いので、早く進み、空港には、3時前に着いてしまった。

 

そこで、予定より1本早い15:55に乗り、羽田18:10に着いたが、バスは18:25で間に合わず、東京駅まで来て、ここからバスで帰ってきた。

バスの一番前の座席に坐り、隅田川沿いの首都高を走っている時には、以前はここを100km/hr位で飛ばして、名古屋を往復したり、色々と旅行などもしたが、今回で、全都道府県を車で走って、一応のけじめがついたと感じさせられた。

日立に着き、バスを降りると冷たい雨交じりの風が吹き、沖縄から帰ってことを実感させられた。