十王堂遺跡

常陸多賀の十王堂遺跡が道路工事で 発掘され、その説明会が有るというので行って来た。
新聞によると次のような遺跡である。

 

縄文中期、縄文後期、弥生時代、平安後期、戦国時代の遺跡が複合的に重なっているという。場所としては北が山、前が川の台地の中腹であり、弥生以降、南方に水田を開いたと思われる。

弥生の遺跡からは副葬品として砕いた管玉が見つかり、このような風習は、群馬や福島の遺跡に有ったという。

これらの時代は、丁度、温暖化の進んだ時代であり、それ以外の時期に遺跡や遺物が無いということは、茨城の県北は、古代人にとって住み易い所ではなかったと思われる。
寒冷化などで住めなくなった時期が長いがゆえに前の時代の遺跡が土に埋もれ、その上に新しく住むようになっていったのだろう。

今回の発掘は周りは学校と住宅地で、これ以上の発掘は無理らしい。

 

縄文土器                        土偶

 

    遺跡(道路の形で発掘)               祭祀の後?(ミニチュア土器)がある

日立の周辺には、縄文の遺跡もあるが、久慈川流域や那珂川流域には古墳時代以降の遺跡が多く見られ、その時代に開発が進んだのであろう。