沖縄紀行(3)

勝連城跡

 今日は72歳の誕生日。天気もよく、窓から外を見た景色も素晴しい。

ホテルの窓から(海の向こう、右端辺りが勝連城)

  



  朝飯はバイキングでお粥があり助かる。















食堂を出ると米軍の兵隊らしいのが沢山泊まっていて出発するところ。





例によって、皆、6時に起きてしまい、出発は8:30前と予定より30分早い。

予定では、海中道路を通って平安座島に向かうのであるが、時間もあり、途中の世界遺産勝連(かつれん)城跡に立ち寄る。
ここは、先の沖縄地震で城壁が崩れたとニュースでやっていた。




 この城は、中山沖縄を統一していく過程で、阿麻和利と言う按司(地元では英雄)が最後まで対向した城であるという。

良港に面し、貿易などでも栄え大きな勢力を誇っていた。


現在では、城の下のほうの曲輪は無くなっているが、山の上の方の三の丸から本丸に相当する所は良く保存されている。














         勝連城の復元図
        
                     城郭への道

    二の

  三の曲輪への道                      地震で崩れた二の曲輪の城壁

   

二の曲輪から見た対岸

   

一の曲輪を背景に                   祭祀の場所

対岸の中城(白く見える所あたり)   

ここから見るともう一つの世界遺産である中城(なかぐすく)城此が海の向こう、はるかな山の上に見える。

ここも何代かに渡って、増築され、幕末にぺりーが来た時、ここによってその築城技術を賞賛したとも言われる。しかし、時間が無くて見ることは出来なかった。

   

石垣などの岩石                          イソヒヨドリ  

 勝連城の城壁は、珊瑚をもとにする石灰岩である。城と言っても首里城ですらさほど大きなものではない。狭い島の地方の豪族の城であるから、それも当然であろう。

これより小さなものも含めると、それぞれの地方に数多くのグスク(城、館、?)が存在したらしい。

   

一の曲輪への道                        遠く見える海中道路

  

一の曲輪から周辺を見る

海中道路

 ここからすこし進み海岸線を戻ると海中道路である。これは石油基地のある平安座島とを結ぶ長い海中の道路で、左右の海の見晴らしが素晴しい。

   

海は浅く、珊瑚の岩場になっている。途中に、ロードパーク道の駅「あやはし館」がある。

海は珊瑚の岩場

浜比嘉島への橋

ここで、土産など買って平安座島に行き、その先は宮城島、伊計島であるが、石油基地とビーチがあるだけのようなので、横にそれて、1.5kmほどの橋を渡って浜比嘉島に行って見たがここもリゾートホテルがあるのみであった。

 沖縄の田舎に行くと昔ながらの家並みが見られるかと期待したが、どこに行っても、殆どがブロック塀のなっており、石塀、昔の瓦、シーサーといった典型的な家は無い。まあ、茨城でもわら屋根の家が殆ど無いのと同じことなのだろう。

 ここを戻って、海岸線に沿って石川の街に出て、石川ICから終点の許田ICまで沖縄道を進む。

ここから先のルートは、名護市と今帰仁村の半島を周回する。

この辺は、道路も空いていて、沖縄特有の遅い車も少なく、予定より早く11時を過ぎた頃、名護市を過ぎた。

この辺から道路のところどころに、パトカーやら消防車が居る。なにやら放送しているのを聞くとチリ地震の津波警報。あまり気にも留めず、さらに進むとNAVIに瀬底島と言うのが出てきて、橋が見えてきた。

ちょっくらよってみるかと橋を渡ると、NAVIに「瀬底土底君」と言うのが出てきた。

なんだろうと、道を進むと狭い横道の奥に、それがあった。

  説明に書いてあるように、土地を守る中国の神様らしい。

 重要文化財だと書いてある。

 まあ、沖縄に来てこんな所に行く人はあまり無いだろうと満足。


 

 

半島に戻る

美ら海水族館

そこから戻って、一寸、小さな港により魚を釣って居る所を見たりして、12時少し前に予定通り、美ら海水族館に着いた。

  

   美ら海水族館                     水族館から見た海辺(まだ、人がたくさんいた)

ここの見晴らしのいい土手の上で、ピクニック気分で途中で買ったきたサンドイッチなどを食う。海の方には色々な設備もあり、日曜日でもあり、子供連れなど大勢の人が居る。

 まずは水族館を見ようと入場。海洋博の時に作っただけあって、大きく、あまり見かけない熱帯の魚が中心。

自慢の大水槽とじんべいざめ

(住人注記)

 ここに、魚などの写真を載せると、枚数が多くなってしまうので、大石さん風に別に纏めてみます。

美ら海水族館

 

 見終わって、海岸方面は?と出てくると、「申し訳ありませんが、津波警報のため、ここより低いところにある設備は入場禁止です」とぬかす。

戻ろうとすると急階段なので、水族館の中を逆戻り。しかし、ここにはエレベータも無い。城跡よりも疲れた。

 戻ってきて海岸を見ると、誰も居ない。津波の為ではないと思うが潮がかなり満ちている。

誰もいない海

 

今帰仁城跡から古宇利島

予定よりすこし早いが仕方がない。海岸線を進んで次の目的地の今帰仁(なきじん)城跡に向かう。






ここは、中山と対抗した北山の拠点であった。中山の国家統一で滅ぼされ、その後も、反逆を防ぐ為、中山から目付けとして監守が派遣されていた。

勝連城に比べれば、規模は大きいかもしれない。
















         今帰仁城の形
     
                         城門への道


   

        城門外側                     内側(両側にのぞき窓のついた衛兵の屯所)

  

城門からの道                       崩れた城壁

山側の城壁(かなりの高さ)                  主郭から見た海側

 博物館なども整備されていたが、ここまで来ると、足が弱った小生にはいささかきつく、博物館などはザーッと見て引き上げた。

ここから戻って半島を回り、島伝いに古宇利島に向かう。古宇利大橋も長い橋で、ここからの眺めもよい。ここは周囲数kmの小さな島。

古宇利大橋

島から見た古宇利大橋

島の反対側で海岸線に向かうと、円筒状空洞地形というのがあり、この辺は、津波警報を知ってか知らずか、若者達が海岸まで行ってみている。娘などもその一人。

  

円筒状空洞地形

津波が来たらどうする?

刈り取ったサトウキビ畑と大橋

 島を一周して、戻り、国道を北上して国頭村(くにがみ)。村のの入口近くのJALプライベートビーチおくまが今夜の宿。

手前の道の駅「ゆいゆい国頭」によって、明日の昼飯や何か土産をと思ったら、みやげ物以外なく、隣のファミリーマートは津波で臨時休業になりましたなどという。

道の駅

仕方がないので、ホテルに向かう。ここは、4種類のコテージの集合体である。

  

おくまリゾート

  

カートでコテージへ                        部屋はまあまあ

大浴場など色々な設備もあり、レストランも4箇所ある。勿論、ビーチもある。

しかし、「申し訳ありませんが津波で、海岸側は立ち入り禁止です。大浴場なども休業にしました。レストランもビーチ側は休業として、こちら側の2箇所だけで営業します。」などという。

満月のレストラン

満月を見ながら、浜辺でゆっくりと言うのもできず、土産など買って、部屋に帰ってテレビをつければ、津波一色。オリンピックやら、津波やらで、小沢さん、鳩山さんずいぶんと助かったのではないでしょうか? それに引き換えこちらは、折角の誕生日も半分台無し。

今日は、走行距離190km位で、10000歩強。車は娘が運転したが、それにしてもたったこれだけだけで疲れるのは情けない。