「血」

 「血」と言う文字は、器の上に祭りのいけにえの血を入れた状態を示すものと言う。

簡単な言葉だが、「ち」という日本語の発音は極めて古いものであるに違いない。

このように、身体や身の回りにあるもので縄文時代以来、変化しなかったものの名前の発音はほとんど変化することなく今日まで伝えられ、言語から民族のルーツを辿る有力な手がかりの一つとされている。

身体を流れる、その血液の繋がりが血縁、血筋であり、血を分けた兄弟などともいう。血が繋がっていないものが誓いを立てるときに血書、血判、或は血を啜るなど、血というものが結束のための重要なものとされてきた。

万世一系という天皇家の血の繋がりが問題とされているが、これもその一つだろう。男子の系列が尊重され、織田家は滅んだと言われているが、織田家の血筋は、お市の方から後世に伝わっている。血の繋がりにも、様々な段階があるのである。

吸血鬼など血を吸われただけで自分もその仲間にされてしまうのだ。

 という言葉には、状態を現す表現にも使われる。

血を血で洗うと言う表現は、もともとは血で汚れた皿を新しい血で洗うと言うことで、物事を包み隠すと言った意味であったが、今では、身内や団体がお互いに激しく抗争することを表すようになった。

熱血漢、血が騒ぐなどと言うポジティブなものから、冷血漢、血も涙も無いなどというネガティブなものまで様々な表現もある。血相を変えるとか、頭に血が上るとか、血を吐く思いとか感情の表現にも使われてきた。

 しかし、現代人にとって、血という言葉から感じるものは何だろうか?

輸血、献血といった病気に関するものがまず思い浮かぶ。

そこから派生して血液型という言葉も思い浮かぶだろう。遺伝ということを説明するのに血液型がよく使われてきた。

O型とA型からは、OAしか生まれないのにB型の子供というのはあり得ないのだが、浮気の相手が同じ血液型なら判別の方法がなかった。

しかし、今ではDNAという切り札がある。明確に分かるようになってきた。

分からないのは、血液型と性格との相関関係で、色々ともっともらしい本などがある。

これを持って相性などともっともらしく言うのであるが、それを、夫婦から職場の関連までもっともらしく説明するのはいかがなものであろうか。

さほどに重要なものなら、犯罪の報道の時に年齢とともに血液型も報道したら面白いかもしれない。

 血液型×ある種の犯罪人×総人口に対するその血液型の比率=??などという統計はないのだろうか