「蝉しぐれ」

 最近、藤沢修平がちょっとしたブームで、「蝉しぐれ」がNHKのドラマになり、短編の「たそがれ清兵衛」「鬼の爪」が翻案されて映画になったりしている。

自分も、子供の頃時代ものと言われる小説は好きで、立川文庫の真田十勇士とか、南総里見八犬伝に始まり、吉川英治、林不忘、柴田錬三郎、五味康祐、山本周五郎、山田風太郎、司馬遼太郎、などさまざまな作家の時代小説を読んできた。

 しかし、いわゆる歴史物と言われるジャンルを除いて、ここ十五年ほどは、ご無沙汰をしていた。

たまたま、藤沢修平がブームになる数年前、女房が借りてきた「蝉しぐれ」を読んで、これは、今まで読んだ時代物とはいささか違うなと感じたのである。

そこで、昔、買った文庫本を調べてみると、藤沢修平の本でもっているのは短編集がほとんどで「剣法何々」といった柴田練三郎や五味康祐と同列に思っていたらしい。

「蝉しぐれ」は、若者の成長の歴史を描いているもの、「用心棒日月抄」のような浪人もの、他にも「三屋清左衛門残日録」のような家督を譲ってなお藩のために仕事をする男の話などもある。そして、いくつかの小説は、海坂藩という、自分の出身地である

東北の鶴岡辺りの架空の藩を舞台にしている。

なぜ、今、藤沢修平が一種のブームとなっているのだろうか?

それは、「蝉しぐれ」「三屋清左衛門残日録」などによるのだろう。

 名古屋に住んでいる時には、夏になると、油蝉と、くま蝉の大合唱で、油蝉などは、街灯が明るいため、夜でもないており、朝になるとマンションの出口に何匹も死骸が落ちていたものである。

日立に帰って、住んでいる団地も出来てから三十年経ち、蝉の声も多くなってきたが、蝉しぐれと言うほどではない。

こちらは、油蝉みんみん蝉が多いが、いずれにしても、くま蝉も含めたこの三種類は沢山鳴いているとまことにやかましい。

やはり、蝉しぐれと言うのに値するのは、一匹が鳴き出すと続いて他の蝉が一斉に鳴き出すひぐらしなどであろう。夏の終わりに鳴くつくつく法師もまた風情がある。

 戦後の団塊の世代も、全盛を極めてやかましく鳴いた油蝉みんみん蝉、くま蝉から、ひぐらし、つくつく法師の世代になって、藤沢修平の世界に共感するようになったのであろうか。

しずかさや 岩にしみいる せみのこえ このせみは何?