鮎は、子供の頃から最も慣れ親しんだ魚であり、食べてもおいしい魚である。

別名。香魚と言うように、独特の香りを持ち、若鮎では焼いてそのまま醤油をつけて食べる、落ち鮎と言われる成魚では櫛にさして焼、味噌をつけて食べるのが好きであった。

 そして、鮎ほど様々な漁法のある魚は他にないだろう。

川を遡上してき手すぐの子鮎は、毛鉤で釣る。成魚に近づくと、鵜飼い、友釣り、投げ網、転がしと言う引っ掛け漁、やな漁、など様々な漁法がある。

 自分が育った那珂川は日本でも有数の鮎の産地であった。

中学校から高校時代、5月中旬頃から、毛鉤でよく釣ったものである。この頃の鮎は未だ小さく、虫を食べている。一番釣れるのは、解禁前の夕暮れ時。

一応禁漁期間はあるが、子供が釣ることなど誰も気にかけない時代であった。

日が西に傾いて夕暮れが迫る30分ほど前に、毛鉤を十数本つけた仕掛けを竿に着け、河鹿が鳴く川に出かけていく。

川の膝くらいの深さの流れに毛鉤を振り込み、横に流して当りを待つ。単純な釣り方だが、この毛ばりには針に返しがない。さっと吊り上げうまく取り込まないと逃げられる。

段々と日が傾き、夕日が川面の映える頃が釣り時で、一度に数匹かかったりすることもある。

 そして、暗くなる頃には外道のヤマベ(オイカワ)がかかったりする。

うまく行けば、1時間ほどで数十匹釣れるのである。帰る頃は、藪では源氏ボタルが点々と光っていた。

 帰って早速焼いて醤油をつけて晩飯のおかず。鮎の香りがなんともいえない・

 

しかし、当時の本格的な漁法は引っ掛けである。当時であるから長い竹ざおに、これも十数本の引っ掛けようの針をつけ、笹舟で川の流れに出て、これで鮎を引っ掛ける。

洪水の後などで、川が濁った時など、うまく魚道に当るとうまい人は、一晩で一斗笊に何倍も取っていた。

祖父なども結構うまく、沢山取ってくる。これを竹串に刺し、囲炉裏の周りに立てて焼く。

猫も喜んで、沿ってやってきて手を伸ばして爪に引っ掛けてもって行き、うまそうに食う。

猫も大好きである。

 そして、焼いた後、そのまま食べるだけでなく、わら縄に繋いで乾燥して保存し。正月の雑煮に入れて食べたものである。

この鮎は、良く料理屋などで出てくる要職の鮎とは全く違う。養殖ものは、身をほぐすと、骨の周りに油がついており、身も締まっていない。

 しかし、本当の天然の鮎などめったに食べられなくなってしまった。

川原の砂利は建材として掘り取られ、上流で水を使う為水量が減り、農薬などの汚染などもあって、魚影は、全く少なくなった。最近また、那珂川の水を霞ヶ浦の浄化と称して霞ヶ浦に流そうという工事が進められてきたが、どうやら中止になるようで一安心。