銀座コリドー通り

 新橋駅を降り、山手線の内側をガードに沿って有楽町方向に歩き、新橋第一ホテルを過ぎるとT字路に突き当たる。その信号を渡ると東京電力の本社である。

そして右に折れてガード下のはやっているラーメン屋の前を過ぎて、最初の交差点を左に曲がった首都高沿いの道が銀座コリドー通りである。この通りは、進んでいくとみゆき通りにぶつかりそこのT字路で終わる。

コリドー通り(コリドー街HP)

 設計部長時代は東京電力まではよく行ったが、副工場長になり「冠婚葬祭、万歳、あやまり」担当となって、ある事件が起こり、コリドー通りに通うようになった。

コリドー通りの中ほどに同和ビルと言う古びたビルがあり、そこがH弁護士事務所である。

この事件は、ガンマー線でガスを電離してガス漏れを測定する装置(ごく微量の放射線物質を内蔵)の輸入業者が、放射線を取り扱う許可を得ないで輸入し、当工場でもそれを使用していたことが発端であった。

 そこから販売先を調査すると、色々な所が使っており、当工場も無許可で使用していたと言うわけである。
一罰百戒と言う点からは大企業を罰するのがもっとも効果的という事で槍玉に挙げられ、警視庁の本庁からテレビで見るような白手袋をした刑事がダンボール箱を持って内部調査(ガサ入れ)にきた。

 実は、当工場はこの装置の採用にあたり、Kに使用許可を申し出て審査資料を出していた。そしてそれについて内定でOKのはがきを貰っており、認可NOが記入されていた。担当者は、これでOKと思い、正式通知がくるだろうと思っていたらしい。

しかし、あにはからんや、役所の担当者が交通事故で一年ほど休んでしまい、引き継ぎが出来ないまま、そのNOは他の所に行ってしまった。

 警視庁は、ダンボール箱を幾つも持っては来たが、もって帰ったのは、古びたファイルにさびたクリップで留めた申請書類、内定の葉書が入ったレターファイル一冊のみである。

しかし、振り上げたこぶしは理由も無く下げるわけには行かないのであろう。

しかも証拠書類がファイル一冊だから、当方の関係者を現場の作業者まで尋問したので解決までに2年近い日時がかかった。

それは、このような事件を担当する警視庁の部門は、麻薬、変質者など特殊な事件を担当し、そちらで事件が起こるとこちらはお休みとなることも原因であった。

 何回か刑事に会っていると、「この前は変質者の宮崎勉事件で彼が持っていた何千本と言うビデオに何か証拠になるものが無いかと調べさせられて、暑いのに往生したとか、T大学の医学部が放射性物質を扱っていて、それを廃棄した先が夢の島だろうと言うことでガイガーカウンターを持って行ってみると、島中、ガーガ―と言う、担当のKはけしからん。我々も放射性物質について勉強させられたが、この本が分かり易いですよ」とか、色々な話が出てくる。

 2年近く断続的な取調べが続き、現場の作業者まで、警視庁の取調べを受けた。

彼らは何が問題で調べられるかも判らないのであるから、ビビッテしまって知らない事でも思い出したことになってしまう可能性がある。

そこで、取り調べ前に工場でも色々と聞いてみて、最後に弁護士事務所でレクチャーをするのが小生の役目である。

 事前に工場で呼び出しを受けた人のレクチャーをする。「**さん、これについてどの程度知っていますか?」などと聞くと一生懸命思い出そうとする。今まで、全く関心が無かったことを聞く場合が多いが、本人は何か無かったか?と考えたりしてしまう。

一度、こうだったかな?などと思うとそれは頭から抜けなくなる。

彼らは、その道の専門家である。専門的にやってきたことの歴史と経験を、本人の経歴、製品の開発などとともに、時系列的にまず確認する。

今やっている仕事は、何年前位に製品が開発され、その検査はどうやってきたかなどと聞くと、全員、検査装置を保管庫(工具室)から借りてきて測定すると答える。

放射性物質があるなどと言う認識は無い。聞かれたらそう答えたら良いよということで送り出す。

その夜は東京で宿泊することになるが、当初手配されたのはつまらないビジネスホテルである。警視庁から呼び出しと言うだけで大変なことと思っている素朴な現場の人達を泊めるには問題である。第一、彼らは何の罪もない。

そこで弁護士事務所の近くの新橋駅近くの一流ホテルに部屋を契約して泊まってもらうことにした。専用のカードなども作り、飲み食い自由。

 そして、本庁で取調べを受け、3時過ぎには帰ってくるので、弁護士事務所で、その問答をまとめてもらう。小生は、2時過ぎに車で工場を出て、出来上がった報告書を弁護士と見て、次に取調べを受ける人の経歴やら、事前に聞いたことやらを話をして、晩飯を食って帰ると、家に着くのは夜の12時過ぎになる。

 こんなことを一年以上にわたって断続的に繰り返し延べ100人以上が取調べを受けたであろうか。そして、結局、不起訴と言うことになったのである。

その間、担当弁護士とは仲良くなり、今でも年賀状などをやり取りしている。

またコリドー通りのレストランや喫茶店、或は、コンビニなどにお世話になった。この時代、山手線側の高速の下の店は、絵画や美術品などを扱う店も多かった。

しかし、最近はすっかり様子が変わり、レストランなどが多くなっている。弁護士事務所も、場所が変わってしまった。

今のコリドー通り(レストランが増えた)

 今でも残念なのは、工場長、部長、課長などラインの長は皆、取調べを受けたのに副工場長である小生にはお呼びがかからなかったことである。

やはり、は「冠婚葬祭、万歳あやまり」担当と言うことで責任者とは見られないということであろう。