江田島

ここは、戦前の海軍仕官学校、一度は、行って見たかった所です。中国地方を旅行する途中で立ち寄った。

 現在でも海上自衛隊の学校であるから、守衛が立っているが、見学と言うと駐車場を丁寧に教えてくれ、門鑑を貰って、控え室に行くと、すでに30人ほどの人が現在の海上自衛隊の教育訓練のビデオなど見ながら待っていた。

現在の海上自衛隊では、第一術科学校、幹部候補生学校の二つがここに置かれている。案内のパンフレットによれば、海上自衛隊の兵力は、艦艇141隻、航空機213機、自衛官44000人だと言う。

この数値が多いか少ないかは、考え方次第だが、日本の周辺の海を守るにしては、艦艇の数は少ないように感じた。
日本の国土の面積は、中国やロシアにとは比べ物にならないが、200海里と言う経済水域を考えると、陸地面積よりはるかに大きな面積をカバーしなければならないからである。

 時間になると、案内人が現れてまず自己紹介をした。「自分は、ここを定年退職してこの仕事をしています。年金がもらえるのは後何年です」などと関係のないことを言うおじさんである。

 「ここ、江田島の海軍兵学校は、戦前は、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスと並ぶ世界3大兵学校のひとつでした。」まずは、差しさわりの無い話からはじめ、敷地内を案内してくれる。
明治時代、一個の値段が建物を作る人夫の日給にも相当したという英国から輸入したレンガ造りの幹部候補生学校、大正時代に瀬戸内産の御影石で作られた大講堂、海軍関係者の遺品が展示されている教育資料館など手入れの行き届いた松に良く調和している。

「戦前は、海軍は女人禁制であったので、ここの松もすべて男松を植えたのですが、一本だけ間違って女松が混じっていたのがこれです」などとあまり関係ない話をする。

教育資料館の横には、真珠湾攻撃に使われた特殊潜航艇なども置かれ、中には特攻隊で散っていた若者の遺書などもある。これらについての説明は、あまりしない。おそらく、言葉尻を捕らえて、後から文句を言う奴がいるのだろう。

戦争とは、別の手段でする政治」と言うクラウゼビッツの言葉など思い起こし、戦争で散っていった若者たちをしのんだのである。

 帰りの途中で、案内人は一緒に見学した高校生位の女の子に、「海上自衛官と結婚したら良いよ、給料は良いし、世話が焼けない」などと言い、小学生位の男の子とその親には、「ここの術科学校に入ると、高校卒の資格が取れて、しかも給料がもらえる」などといって宣伝している。

 そこで、「今は女子自衛官がいるのだから、女子自衛官になってもらった方が良いんじゃない?」と言うと、「それもそうだ、ぜひ、」と言うので、「そして女子自衛官を嫁さんにしたらもっと良いだろう」と言うと
そのとおり、給料に男女の差はないしー」と言う。
でも、起立!!などと号令をかけられると困るかもよ」と冷やかすと、前を押さえて「俺はもう駄目」とうなずく。