麻雀(4)――会社生活  

 入社して、数年たち、開発部門に移り、500kV変圧器の開発に携わることとなった。ともかく、他社は、いずれも、海外メーカ ーと技術提携を行っており、当社も自主技術で、275kVまでは何とかやっては来たが、やはり、戦前の技術の延長では、高電 圧化、大容量化には対応できなくなってきた。そのため、色々な事故を起こし、顧客の信用も失墜していた。

 このような中で、材料、構造、製造設備など、あらゆる面からの見直しを行った。

 しかし、東芝、三菱は、GEWHとの技術提携のもと、海外の400kV,500kVで着々と実績を重ね、ついには、富士までが50 0kV変圧器をアメリカに輸出するまでになり、重電三社から脱落するのではないかと言う危機に立ち至った。

 その間、GEと技術提携しようという話もあったが、当時の幹部の決断で、自主技術でやるということになり、開発部門に人材  を結集したのである。

 そして、皆で積み重ねてきた技術を一気に投入し、最初の500kV変圧器をあらゆるトラブルを乗り越えて完成させ、米国に 輸出したのである。

 この努力と成果は、当時、出版された堀越二郎氏の「零戦」の記事と重ね合わせ、劣勢を一気に挽回した記録として関係者 の記憶に永遠に残っていくであろう。

 さて、このように、技術的には、その後の製作経験等もあり、十分、自信ができたが、

 如何せん、顧客の信頼は極めて低く、特に、東電では、三社の仲間に入れてもらったが、形のみで、まず、東芝、三菱二社に  送電線の両端の変電所を作らせたのである。

 当時、変圧器の先輩諸氏も、顧客の対応に努力をしていたが、ともかく、真面目な人ばかりである。そもそも、お客と言うもの は、如何に真面目に説明しようとも、事故を繰り返していては、かえってその話を眉唾に聞くものである。

 しかも、それで終わりでは、先が続かない。営業も、事故の多い製品を売るより、他の製品を売った方が楽である。

 開発と同時に、色々な事故対策をやらされたが、ともかく、自分の設計したものでないから、気持ちは楽である。事故対策を誠 実に、徹底的に、実行し、自分自身の信頼が得られるよう、徹底的に原因究明を行った。



 他社の事故や、開発状況のことも知りたいが、昼と夜のダブルヘッダーで攻めないと色々な情報は入ってこない。

 夜の部は、営業の仕事などと言っていたのでは、営業からも欲しい情報は入らない。

 しかも、当時から営業は金がない。毎度毎度、支社のクラブなどで酒を飲んでみてもお客にしても面白くない。そこで、客も好き 、こちらもあまり金がかからないということになると、麻雀と言うことになる。

 そうなると、日頃の鍛錬が役に立つ。営業も、この人ならと言うことになり、顧客からも御指名がかかるようになる。

 M君のお客のように、立会い試験にきて、立会いは部下に任せ、「Mさん、勝ったら返さない、負けたら帰れないでしょう!!」 などと言って、朝から麻雀をやる顧客も居る。

 かく言う小生も、当時、500kV計画のあった九州、中国、関西、中部、東京の各電力会社の人達と、昼は、PRや技術打ち合 わせ、夜は麻雀と言うことになった。

 ともかく、開発も忙しいが、顧客対応も大変である。したがって、開発計画は、会社ではまとまらない。「今日は、頭が痛いの で休みます」などと女房に会社に連絡させて、年休を取って、自宅で作成し研究所や、開発関係者に説明し、出張の合間や、  休日出勤で進行状況をチェックした。

 この頃から、仕事は、計画を早く立て、部下が「今、忙しくて出来ません」などと言えない早い段階で、渡してしまうという習慣が 身についた。

 あまりに、出張が多いということで、当時の工場長から、小生に出張禁止命令が出たことがあったが、年休なら良いだろうと、  年休を取って出張したこともあった。

 このようにしている内に、運良くというべきか、先の二社が現地事故を起こし、当社も3社の仲間入りが出来た。

 大型変圧器は受注内示があると、次は、輸送が問題となる。現地までの鉄道、道路の状況を調査し、変圧器の設計限界を確 かめねばならい。

 それもあって、変電所の建設現場には、必ず出張し、自分の目で確認した。

 据付段階でも、現場に行って状況を見たものである。現地では、物流の人や、営業、顧客とまたまた、麻雀と言うことになる。

 しかも、小生が行くときは、必ず、天気が良い。そうなると、変圧器の内部点検とか、

 イベントには、天気男の小生が呼ばれることとなるから、ますます、付合いの回数も増えると言うことになる。

 C電力の工務部長も、麻雀が好きで先輩でもあるので、一、二度お手合わせを願い、この人は手抜きを嫌う人だと分かったの で、遠慮なく負かしたが、それが幸いしたのか、1000kVの技術を始めて適用した変圧器の注文を頂いたりもした。

 顧客もメーカーも一体となって開発を進めた古き良き時代の話である。