麻雀(2)−−入社当初 入社すると、集合教育なるものがある。我々の年代は、人数が多く、二組に分かれ、「集合教育(一ヶ月)から工場実習」 と言う組とその反対の組に分けられた。 双方の組が、入れ替えの時、寮で顔を合わし、挨拶した。前半を工場で実習した連中は、総務辺りから、色々と聞かされて おり、こちらが「Kと言います。よろしく」などと神妙な挨拶をしたら、相手も「Mです。よろしく、―― ところで、貴方の配属 は、どこそこだそうですよ、私もー」などと言い、「それでは、お近づきのしるしに――」などと言って、徹夜で麻雀をやったの が、そもそものはじめである。 さて、集合教育も終わり、寮の部屋も決まった。人数が多く、新人は六畳に二人である。給料は安く、酒を飲みになどめっ たに行けない。それでも行く連中の中には、給料がマイナスとなってボーナスで会社に金を払うことになる。 したがって、夜は麻雀と相場が決まっている。
私の部屋は、悪名高い変圧器検査課に配属が決まったM君と一緒であった。 変圧器部門は、全社の稼ぎ頭で、ある変圧器の受注近の中からの金で工場を一棟建てたとか、銅のインゴットを資材部の 裏に埋めてあるとか、お客から特急で作ってくれと言われて、お値段を聞いててっきり2台と思って2台分材料を手配したと か、色々な話があった。 したがって、人手が足りず、特に検査課は、ヒートランなど徹夜でやるため、勤務が不規則で、海軍の軍歌の替え歌を作り 「朝だ、夜明けだーーー国分男の変検勤務、月月火水木金金」などと歌っていた位であり、新入社員と言えども、何時帰る か分からない。 結局、最も栄えた麻雀部屋の一つとなり、夜遅く帰ると、必ず、誰かがやっている。 あまりのやかましさに、隣の部屋に入った京都大学のまじめM君が胃潰瘍になった位である。 こう言うと、仕事をやっていなかったように誤解されるが、帰れば麻雀しかできないから、専門書の輪講会なども、すべて会 社でやっていたのである。 |