麻雀(1)−−学生の頃        

 いつから麻雀を始めたか、今から考えると記憶に浮かんでこない。

 昔、麻雀牌というものは、極めて貴重品であり、安いものは、水牛の骨などで作った骨牌であり、高いものは、象牙で出来て  いて、文字は手彫りであった。

 したがって、高校に入って、友達の家に遊びに行って覚えたらしい。

 友達の親父が、漁協に勤めていて、遊びに行けば、誘われたことや、早稲田に行っていた叔父にメンバーが足りないといって駆 り出されたことを覚えている。

 どうやら、小学時代に、将棋、トランプ、百人一首、中学時代に、囲碁、花札、高校時代に、麻雀を覚えたらしい。

 大学に入ると、それでも、まじめに囲碁部に入った。しかし、強いやつは強く、歯が立たない。当時の大学で二、三段と言えば、 今の四、五段位の強さだったと思う。

 そんな連中が一軍で、こちらは二軍である。一軍には歯が立たないので、二軍同士で戦うのだが、それだけでは面白くない。そ こで、碁会所に出かけ、知らない叔父さん連中と他流試合をする。当時、碁会所には、暇人がたむろし、いずれも腕自慢で、  今のゴルフ練習場のような雰囲気である。

 下手が来ると、なんだかんだと岡目八目で批判し、勝って喜んでいる。

 こういう親父の定石も何もない力碁に負けるのが癪で、ある時など、皆で相談し、顔の知られていない碁会所に行き、神妙な顔 で、「初心者ですからーー」などと言って「では、六目位おいてみたらーー」、「いやーそれでも」などと言って井目置いて、相手の  石を全部取ってしまうなどということもやったりした。

 このような連中が、昼休み(実は、講義がくだらないと、11時頃)ともなると集まってくるが、今日は、昼から実験だから、遅れて も誰かやってくれているだろうなどと言って四人集まると、麻雀屋に直行したものである。




 大学の傍の麻雀屋は、我々の大学専用みたいなものである。しかし、仲間内でやるとは限らず、他の学年の連中もメンバーが 足りないと、一緒にやることもある。


 こうなると、その場で清算であるから負ける訳には行かない。中には、阿佐田哲也麻雀小説なみの積み込みなどのいんちきをやる奴も居るから油断がならない。


 そうでなくとも、強い連中は、牌の竹の模様を覚え、また牌を積む時に、どこに何を積んだか位は皆、覚える。



 こうやって、半チャンを数回やり、そろそろ、実験も進んだろうと、戻って、いや、申し訳ないなどといって、やおら、データを取っ  たりした。そうは言っても、名誉のために付け加えれば、レポートをまとめる役目はキチンと果たしていたのである。



 そういう連中が、二年生の夏休みの前に、あまり、囲碁が下手でも、囲碁部の名に値しない、今年の夏は、合宿をやろうということで、大洗の隣の磯崎にあった大学の設備を借りて、合宿をすることにした。

 しかし、囲碁は下手でも、麻雀なら出来るという連中も集まっているのだから、落ち着くところは、朝起きる――午前、囲碁、午後、海水浴、昼寝、そして麻雀と言うことになり、結局、その疲れで午前様になり、以下同文で、囲碁が省略されてしまった。

 このようにして、友人の下宿などを溜まり場として、よく、遊んだものである。

 ある金曜日の夕方、誰かの下宿に集まったときに、「我々は、良く、麻雀をやっているが、一体、何時間出来るか」という話にな り、今から、実験しようと言うことで、5人で70時間やったが、最後は、疲労困憊で、意識もうろう、まあ、48時間位が限界と  言う結論になった。

 今、このような連中が、リタイアし、囲碁を趣味として、皆、四―六段位になっているが、小生は、いまだに当時のままで、初段 クラス実力であるのは残念である。