雀鬼

私が学生だった昭和30年代の中頃は、日本の経済が上向き、東京オリンピックも、近いうちに行われ、新幹線も建設される時代で  あった。

 夜の街には華やかにネオンが灯り、バーやクラブ、一杯飲み屋などがサラリーマンや労働者を集めていた。

 そんな盛り場には多くの麻雀屋があり、場所によっては、いかがわしい賭け麻雀なども行われていた。

 大学の近くの学生街にも多くの麻雀屋があって、暇さえあれば、麻雀をする学生でにぎわっていた。

 私も、高校生の頃に麻雀を覚え、大学に入ると友達たちとずいぶん麻雀をやったものである。

 当時の麻雀牌は裏が竹で、表は、高級品は象牙だが、こんなものは、使われず、骨牌といって、水牛の角、そのうち、練り牌といって、プラスチックになった。

 当然、自動台などというものは無く、場が終われば、自分たちでかき回して、手で2段17列を積むのである。

 学生とは言え、金をかけてやるのが当たり前であるから、自分が何をどこに積んだか位は、かなり、覚えるし、都合の良いように積む  ことも出来るようになる。
 町のマージャン屋で飯を食っているような連中は、もっとあくどいことをやっていた。


 このような、麻雀ゴロを主人公にした、小説も多く、阿佐田哲也(朝だ、徹夜だをもじった筆名)の「麻雀放浪記」シリーズなど有名であった。

 (注)阿佐田哲也は、文芸小説家の色川武大の別名

 その後、麻雀劇画などが盛んになり、それ専門の雑誌も出たりした。
 しかし、この時代は、ゲームをはじめる前に、を山に積む段階でインチキが出来た。いわゆる積み込みである。これと、仲間と組ん でやるインチキとの組合わせで、劇画などに書いてあるインチキがほとんど何でも、実際に出来たのである。

 しかし、今は、全てが自動台である。牌を山に積むという段階でのインチキは出来ない。昭和50年代の後半、自動台が普及するにつ れ麻雀雑誌も廃れていった。

 ご承知のように、ギャンブルには、「自分がやる」ものから「誰かに変わりにやらせる」ものまで、様様な種類がある。

 パチンコ、麻雀、ルーレット、闘犬、競馬、競輪、サッカーくじ、宝くじなど様様なものがある。




 この中で、誰かに変わりにやらせると言うギャンブルは、中国においてもっとも種類が多い。それは、コオロギ、鶉、鶏、犬、牛、馬、そ して人間まで様様なものがある。


 

 日本では、人間が戦うものは、格闘技、剣技もあったかもしれないが、明治以降、囲碁や麻雀で代打ちをさせて、金を賭けることが行 われるようになった。


 このような代打ちの世界を、囲碁を舞台に書いた小説が、江崎誠致「懸賞打ち」である。


 学生時代に覚えた囲碁の世界にも代打ちの世界があったのである。












さて、現役を退くと、時間は十分にある。(しかし、持ち時間は限られている)

 毎週、ブックエースに行き、本を調べる。面白い本は、時間原単位(700¥/Hr以上)に適合するものは買う。合わねば、立ち読みを  する。新書などほとんどはこれで十分である。立派な本は、図書館で借り、必要な所は、スキャナーで取り込む。(個人用なので勘弁  ね)

 さらに、DVDの映画を借りることも多くなった。何しろ、旧作は、100¥/本で借りられる。

 ビデオ時代は、「飛ばし読」ならぬ「飛ばし見」は時間がかかったが、デジタルのうれしさ、「飛ばし見」が出来る。

 片っ端から借りてきても、本を買うより安く、下らないものでも、「飛ばし見」ができるから、時間単価は安い。 ということで、借りてい ると、「雀鬼」と言う映画のシリーズに出くわした。

 阿佐田哲也「麻雀放浪記」主人公の舞台が上野なら、こちらは、新宿歌舞伎町である。

 時代は、昭和30年代後半から、50年代初めまでで、麻雀全盛の頃のことであった。 この時代、仕事にも、遊びにも、皆が全力を投 入し、日本が成長してきた。

 「麻雀」雀鬼と言われるような男達も出た時代である。

 しかし、それも、時代が咲かせた仇花であり、デジタルに制御された自動卓の出現で昔のこととなってしまった。