戦争論            

 欧州の戦争は、ローマ帝国が崩壊して、中近東に新たに起こったイスラム勢力との戦いから、17世紀のドイツ30年戦  争まで、宗教を中心に行われていた。

 「十字軍の名のもとでの聖戦」、「イスラムの旗の下での聖戦」が行われて、神の名のもとに異教徒と戦って死ねば、 天国へいけると信じて戦っていたのである。

  しかし、戦いは、神様がするのではなく、それを指揮する軍隊、それを統括する国王が行うのである。イスラムの世界 も モンゴルと言う別の価値観をもつ民族に征服され、異なる価値観の国に分裂した。
 欧州も宗教革命で分裂し、カソリックとプロテスタントの抗争が続いたが、次第に、各民族、国の力が強くなっていった。

 17世紀半ばから、フランス革命から、ロシア革命まで、欧州は、王国間の争いから、国家間の争いへと進んでいった。

 その間、小国であったプロシャが、スエーデン、ナポレオン、オーストリア、フランスなどと戦い、ドイツを統一し、欧州の強 国になった。
 その背景には、「ドイツ軍参謀本部」の戦略があったことは有名である。

 そこには、モルトケを初めとする名参謀達の深い洞察と実行力があった。





 また、戦争の本質に対する深い洞察力に基づいて書かれた
クラウゼビッツ
 の「戦争論」があることも、良く知られている。


 その中の「戦争とは、別の手段で行われる政治の継続に他ならない」と言う言葉は、戦争の本質を良くあらわしている。

 この言葉は、国家が確立し、国家が、何らかの理由で争うという政治の世界での抗争を明確に示している。

 今、アメリカは、第二次世界大戦、朝鮮戦争で引き分け、ベトナムで負け、湾岸戦争で勝ち、アフガニスタン、イラクで戦っている。

 なぜ、べトナムで、勝てなかったのか?



 当時の国務長官であったマクナマラが回顧録で色々言っているが、「戦争論」の 中の一節「農民の一隊に勝つのは 、武装した兵士の一隊に勝つほどは容易ではない」と言う言葉に尽きるであろう。

 遂に、日本人もイラクで狙撃され殺害された。

 「イスラムの教えを信じるアラーの神のしもべ」「民主主義を叫ぶブッシュ大統領」の戦になってしまった。

 今回の戦争がどのような結末を迎えるとしても、国家が政治として行ってきた戦争と全く異質な戦争が始まってしまったと 言えるかもしれない。

 12世紀から800年以上も続いた宗教間の対立の戦争に、大量殺戮兵器と狂信者のゲリラ戦法が新しく加わったような ものである。

 これは、簡単に終わるものとも思えない。

 このような狂気の時代に打ち勝ち、理性なる世界を再構築するのは、ヨーロッパなのか、中国や日本なのか、我々も真  剣に考え、行動していく必要があるだろう。

友愛などと言っても、「YOU」「I」が一緒になるのは容易ではないのだ。