土偶展とチベット展(その1――チベット展)


 東京国立博物館土偶展が始まった。これを見にいくことにして、上野の森美術館チベット展をやっているので、これも見ることにして、出かけた。1ヶ月ぶりに東京に行くので、高校の同期を呼び出して二人で行くことにした。

上野の森美術館は、公園口のすぐそばで、チベット展の大きな看板が立っている。さすがに東京は暖かく、初冬というのに、まだ紅葉が残っている。


        

あまり良く調べもせず、大した事もあるまいと思ったのだが、展示品の多さには驚いた。入場料1400円も高くはない。(展示品は123点)

仏像を中心とするチベット仏教に関する展示が大半である。

チベットには、土着の宗教もあったが、吐蕃王国の統一で仏教が栄え、吐蕃の滅亡で、国が乱れた時期に各地で色々な宗派が出来た。

                           

 初期の仏像 5世紀(北魏)          7世紀(カシミール)    8世紀(カシミール)      11〜12世紀(東北インド)

イスラム教インドに入って仏教関係の寺院を破壊し、それから逃れた仏僧がチベットに入り、仏教が盛んになり、独自のチベット密教へと発展した。

       

チベット密教の師祖達(例)

元、明、清の時代には、中国にも進出し、ダライラマが法王となり、歴代王朝との関係もよく、その頃の事物も多くあった。

いわゆる密教だが、日本の真言、天台とはずいぶんと違うようである。仏教の教義もチベットでずいぶんと変質したようである。仏像を見てもそれが良く分かる。

         

父母仏(ぶもぶつ)立像の例(4面の男女仏が抱き合っている)

          

様々な仏像

人の生皮を敷いて馬に乗る

     

蓮マンダラ(右は開けた所)                   仏龕

1500年にわたる展示品であるが、その間の歴史的変遷を知らないので、単に鑑賞といったことで終った。

仏像は、殆どが銅像で、めっきを施しており、金色に輝き、宝石の象嵌も多い。

普段見慣れた、日本の仏像とずいぶん違うように見えるが、奈良や平安時代の仏像も元の彩色を復元すると同じようにきらびやかなものだったのであろう。

 

(常陸国住人後記)

 全く知識がなかったので、今回購入した本、歴史書、Wikipediaなどから概略を探ってみた。概略は下記と思うが、勝手に書いたのでご勘弁。

1.  起源前5世紀半ば、釈迦ガンジス川中流(インド北部)仏教を始める。

(原始宗教をルーツとしないのが特徴という)

2.  100年後位から、宗派が分裂、色々な宗派が生まれる。一部はスリランカ、東南アジア

3.  紀元前後、在家のまま修行すれば仏になれるという大乗仏教が起こり、アフガニスタン、中央アジア、中国、韓国、日本へ。

   (日本への仏教伝来、6世紀半ば。法隆寺建立:607年)

4.  7世紀頃、密教中期密教)が盛んになり、インドからチベット、中国、韓国、日本

鑑真来日:754 最澄、空海が入唐し帰国し密教経典を持ち帰る:805、806)

5.  7世紀、チベット吐蕃王国が統一、仏教布教を推進

6.  9世紀半ば、時の王が仏教を弾圧、吐蕃滅び国が分裂。10〜11世紀、各地で仏教復興の動きあり色々な宗派が生まれる

7.  12世紀初め、インド最後の仏教寺院がイスラムの攻撃で消滅。インド仏教が滅亡。

多くのチベットへ。チベット仏教後期密教)が生まれていく

8.  13世紀、モンゴルに高僧が出向き、侵略をやめさせ、逆に王族などにチベット仏教を広める。

の滅亡後の中国の混乱、との戦いもあり、後期密教日本へは殆ど伝来せず、から伝来した禅宗や、日本独自の宗派(浄土宗、浄土真宗、日蓮宗)などが生まれる)

9.  16世紀、ダライラマ制度?生まれ、17世紀半ば、ダライラマ5世が法王となり、同じ頃成立したとの関係を築く。その後、とも良好な関係を保つがーーー今は???

 

これでも分かるように、日本への仏教伝来は、の滅亡後の混乱で中国との関係が途切れ、代になって13世紀に道元、最澄禅宗を伝えたのが最後でしょう。

チベット仏教も伝来したようですが、邪教として排斥されたようです。